基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

レゴバットマン ザ・ムービー

Amazonプライムで映画をレンタルしようキャンペーン第三弾。

レゴうんちゃら系の映画をはじめてみたけれども意外なほどおもしろかった。何しろキャラクタから背景までレゴなので映像自体にワクワク感はまったくなく、映画館で観たいタイプの映画では微塵もないのだけど(個人の感想です)その分話がおもしろい。観る前はバットマンをレゴでやってどーすんのよと思っていたのだけど、全篇コメディタッチ・ノリが軽いからこそぶっ込めるネタというのもたしかにあって、真面目なノリでは基本的に踏み込めない不可侵領域である”悪役とヒーローの事実上の共犯関係”に踏み込めていたのがよかった。ヒーローがヒーロー足り得るためには、そこに悪役がいなければならない──という。まああまりにも無邪気すぎるよなあとは思えるし、もっとぶっこめるだけぶっこんで欲しい(バットマンが完全に法律違反の存在であることとか)とは思うんだけど、こんなもんかな。

ハクソーリッジとモアナ

Amazonプライムで、数百円払えばいろんな映画がレンタルできることに気がついたので土日でハクソーリッジとモアナをみた。

ハクソーリッジ

十分おもしろかったのだけど、2時間20分ぐらいの映画で前半1時間ばかりを良心的兵役拒否者の生い立ちと、そんな彼がなぜ軍隊に志願したのかに費やしていてケッコウだるい。ここ完全にskipしてしまったらそれはそれで「なぜ良心的兵役拒否者が軍隊に入らなければならないのか」という矛盾したところが描かれなくなってしまうのでしょうがないのかもしれないが。あと、やっぱり人を助けるっていうのは絵面的に凄く地味なんだけど、そこを音楽やディティール、日本兵とのかくれんぼで無理やりがんばっていたのはよかったな。

”人を助ける”話ってのは「それをどう描くのか」自体がおもしろいなと思う。

モアナ

これはおもしろかった。設定説明やただ聞いているだけになりそうな話の背景部分を全部歌と踊りで楽しく圧縮し、勝ち気でおてんばな女の子が”女性の役割”や”与えられた立場”、”みんなが限界だと信じている場所”を全部突き抜けていく爽快さ。海の表現は素晴らしく、どうやっているのかよくわからん入れ墨(神話生物に入っている入れ墨なのだけど、これが動きまくる)の表現がもすごい。

ただ女性の役割や与えられた立場を抜け出した先が、やっぱり海に選ばれし者の使命を果たすというあたりが”与えられたものの枠組みの中”から逃れられていないようにも思えるんだけど、作中では「それでもとった行動はあなただけのものなのだ」という落とし所になっていて、まあそういうもんだなと。

最後までみてもよくわからなかったのは、モアナに付き従う頭のおかしなニワトリの存在で、無能だとばかり思っていたら最後に活躍する──っていうのはまあ既定路線。最後このニワトリが、モアナが島を救った後に島へと帰還しみんながワイワイやっているあいだに、ニワトリが一人海に向かおうとするんだけど、海自体にそっと押し返されるんだよね。これはいったいなんなのか、ちょっと考えてみてもまったくわからなかった。

もちろんニワトリが海に出ても死ぬだけだからそれ自体は優しい動きなんだけど物語の最後にそういう場面(どのような意図、象徴として)が入る理由がよくわからないな。

作業環境構築

新しくキーボード(とマウス)を買ったのでその試し打ち中。

作業は基本Macbookでやっているのだけれども、寒くなってくると手がかじかむのでワイヤレスキーボードとロジクールのボールマウスで自分の体を完全に毛布などで覆いながら、毛布の中で手元だけ動かして画面を見るスタイルを採用することになる。ワイヤレスキーボードとマウスが昨年壊れたため冬に備えて新たな機材を導入したのだ。ついでにゲーム用のディスプレイとパソコンを接続してダブルディスプレイ環境を整えることで究極完全体作業環境を手に入れたのであった(別に究極じゃないが)

僕は仕事でも趣味でもタイピングし続けているのでキーボードの打鍵感というのはかなり重要なわけだけれども、けっこう強く叩きつけるのである程度の反発がほしいんですよね。で、この一、二年ぐらいのMacbookProのキーボードって、どういう表現が正しいのかわかんないんだけど押し込むキーボードじゃなくなってしまったので(ほぼフラット)ちょっと叩きつけるとオーバーパワーだし、指が痛いしで合わなかったところがある。まあ、使い続けていれば慣れるでしょと思っていたんだけれども、どうにも慣れないので押し込んでも問題ない系のキーボードにしたのだった。

ノートパソコンってキーボードついているのになんでわざわざ別のキーボードをつけないといけないのか? とも思うが、まあこれがあればiPhoneとかでも文章が書けるしね(その目的で使ったことはないが。)。今は仕事用の他にMacbookProがもう一台とゲーム用のWindows機が欲しいが今あるだけで十分満足している感もあり、悩みどころである。
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『GODZILLA 怪獣惑星』を見た。

一回見たときの素直な感想はまっとうにおもしろいなというもので、それはそれとして「何がなんなんだ??」という疑問も多く残る。とはいえ三部作ということもあって、それがどの程度のちの第二部、第三部で解決されるのか、あるいはされないのかはよくわからない。

まず良いなと思ったのは基本的には設定で、まあ二万年後の地球、人類がKAIJUに奪われた地球を取り戻す──という展開がつまらないわけがない。導入自体も放浪の果に行く当てがなくなって帰るしかないという、まあ納得はできる内容。アクションなどの3dのアニメーション部分は、正直期待していたほどではなかった。服装や風景はのっぺりしているし、キャラデザもピンとこないし、動きにそこまで面白さがあるわけでもない。音(BGMや環境音)も特にいいと思わなかった。が、そのすべてが別につまらないというわけでもないしだめすぎるというほどでもなく、まあ設定がいいからオモシロイなという感じ。

ほかは、妙に台詞回しはくどいし( 演説ひどすぎじゃない?)、説明的なカットが多くてだるいし、登場人物の行動に感情が後追いで追いついていく感じで、画面に展開した時は「あ、そういうことするやつだったんだ君って」という感じで違和感があるのだが、もう少ししてから考えてみると「まあ、そういうもんかな」と納得する。なんか文句ばかり出てくるが、それはそれとして見ている間は「おーすご~い」と思っているわけなので、なんとも褒めづらい映画である。設定的によくわからないのは、KAIJUと戦う時に人間だけでなく異星の人型種族が協力するところで、普通そんなやつが出てきたらKAIJUぐらいあっさりやっつけそうなもんだが一緒にやられてしまう。もちろんその技術があったからこそ人類は宇宙に飛びだつことができるし、謎が残りすぎるぐらいに残っているのだが、あえてこんな設定を入れるだけの意味がどんだけあるのかこの先の展開がけっこう不安になってしまう。何しろKAIJUがいるというだけでもものすごい大ぼらなのに、そこに加えてわけのわからん人型種族が都合よくやってきたわけなので、大ぼら☓2を通そうとするリスクは大きい。

パシフィック・リムもまあ、KAIJUに対抗して巨大ロボをつくったという大ぼら☓2なわけだけど、それは”怪獣とロボットが戦うなんて最高にクールじゃん!!”っていうあからさまな利益があるから成立するのであって、亜空間航行でワープする能力を持っていながらもKAIJUに勝てもしなければ、人類が住める惑星を探すだけの科学力もないし、第一部時点ではただただ物語的に都合のいい存在で、こんなやつらの存在を許容するだけのオモシロ展開に持っていけるんだろうか。正直いきなりワープして11光年を飛んで地球に戻った時、笑っちゃったよ。まあ、たぶんそこも含めて全部計算通りという展開になるんだろうし、そこが納得できる展開になるのかどうかについては(虚淵玄だし)不安ではあるものの、あまり心配してないんだけど。

大きな疑問のひとつは、ゴジラは一匹しかいないみたいなので、ゴジラの真反対に降りればええやんけというものだが、作中で「あいつは絶対に人間を見逃さない」みたいな話もあったので、そこは真反対に降りても無理なんだろうなと無理やり納得した。それはそれとして、別に地球が完全にだめになるわけでもない(ゴジラは宇宙にこないんだから)のだから、最初から宇宙にあてもない旅になんかでないで、とりあえず地球周辺を回遊しながら時折ゴジラのいないエリアに降りて資源を回収する、あるいは食物でもなんでも栽培して、ゴジラが近づいてきたら脱出するだけでええやんけと思ってしまった。

あと、作戦が荒唐無稽な上にずさんすぎるとかいろいろあるけど、個人的にこの作品にぐっと惹きつけられたのはエンドロール後で、なんか地球人が普通に暮らしているっぽい点。どうにも乗り切れなかった宇宙からの期間編だが、この土着の地球人がメカゴジラなり超能力なりを用いて戦う展開の方がよほどおもしろくなりそうだ。なんかどうも宇宙から新しい作戦を携えて帰還しましたーいろいろがんばって倒しますーという展開にさっぱり燃えないんだよね(そもそも科学力が基本的に与えられたもので、なんか全てが操作されている可能性を考慮するとがんばって倒してもそうなるように操作させられてるだけなんじゃないの?? と疑問が湧いてくるし。)

色々書いたけれども、見ている間は普通に楽しんでいたし、ここで書いたことも基本的に第二部、第三部でみていくうちに「ああ、そういうことなのね」と解消するものだと信じている。

銀魂実写版

観た。

正直不安はなかったけど、アクションもプロットもスマートにおもしろい作品になっていてよかった。福田組もみんな特に違和感なく溶け込んでいたし、配役も素晴らしい。ヤスケンは「水曜どうでしょうやんけ」とおもってしまったけどそれもまたおもしろいのでよい。惜しむらくは、シャアザクに乗ってゴムゴムの実を食って敵と戦ってほしかったけど、まあそこまでは望み過ぎと言ったところか。公開してからすぐの頃は「公開中止になるまえに観に行け」みたいな煽りがとんでいてどんなもんかとおもったけどこの程度で冒険になってしまうのか……とはおもった。

実写とアニメが入り交じったような『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』初日にみてきた。

正直言って初見時の感想は「つ、つまんねー……」というものだったが、終わってから一日ぐらい頭の中で反芻していたらけっこうおもしろい作品だったような気がするな……と感想が変転してきた。最初は中学生男子の会話に妙な違和感はあるわ、風景や背景にもそんなに魅力を感じないわ、キャラクタの言動の意味不明さについていけていなかったけれども(あと、原作映画もみてないので今時タイムリープでコレって古すぎて今やる意味ないじゃんとおもってしまった)まあそれはそれとしてわりきれない感じがいい映画だなとおもったのであった。

あくまでも映像的なことがよくわかっていない人間の主観的な感想だが、前半部分に関しては男子中学生の単純さと女子中学生の微妙な複雑さの生っぽいところを延々とやっていて、アニメでやるには向いてないしそんなにうまくいってないよなーと思うことしかりだった。が、アニメではあんまりみたことがないし、これはこれでおもしろいんじゃないか、少なくとも頭のなかにはよく残っているナーというのが良かったと変転してきた一点。で、もう一点はどんどんファンタジック(SFジュブナイル)な感じが出て来る後半戦で、こっちは非常にまたアニメ的で、結局見終えてみれば実写を見たようなアニメを見たような微妙で複雑な感情が残るのであった。

で、それはプロットも同様で、どこまでが原作通りなのかしらないけど、コレって別にどうにもならない話なんだよね。女子中学生が親のあれこれで「家出したーい」っていって男の子にちょっかい出して(無理だとはわかっていながらも)ちょっとひと夏の冒険したいですというだけで、タイムリープが発生するはするけど、ちょっとずつ状況は変わるけだけで、特に大きな変化(問題解決)が起こるわけではない。別に家出と駆け落ちが成功して東京で暮らすなんてありえないし(そもそもそれはハッピーエンドではないし)、だから結局描かれていくのはひと夏の中学生の哂っちゃうような初々しい恋模様(のようなそれ以前のもののような)であって、物語は何らかの欠乏を満たすために駆動されているわけではなくただただスナップショット的にそうした関係性のパターンが美しく切り取られていく(そんなに美しく感じなかったけど)。

そういうプロットだと「わ、わ、わきりれねえ〜」という感想も出てくるんじゃないかなと思うし、だいたい作品からして実写なのかアニメなのかうまく割り切れない感じがあるし、まあつまんねーという感想もわかるが、それはそれとして「おもしろくはあるな」というのが今の感想である。まあでも、公開直前のインタビューの文字起こしで(これは文字起こしした人の問題でもあると思うけど)、一回の返答の中で新房監督が「なんとなく理解しました」とか「なんとなく思いました」とか「なんとなく」を連呼していて「本当に大丈夫なのかな……なんとなくでつくってんじゃないのかな……」とおもってしまったがきっとなんとなくはつくってないとおもいます
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FGO アガルタ篇

そこそこおもしろかった。

シナリオに対する批判をけっこう見かけて、概ね納得できるものだったが、個人的には内容がどうこう以前に段取りが面倒すぎる部分が多かったのがキツイ。FGOのイベントシナリオでダルすぎて読めなかったのはプリズマ☆イリヤコラボと羅生門イベントだけだったが、今回はそれに近いだるさ=お決まりのプロットどおりに話が進み、その過程ごとに長々と状況説明が入る──がある。一行で済む、あるいは書かずとも察せられるような描写を必ず何行にもわたって使うような感じ。

まあおおむねスキップしつつも読めるところは良かったし、このレベルでも他のソシャゲと比べると充分におもしろいから(あと、キャラは抜群にいいし)、最低限このレベルで推移してもらいたいところである。不満点というか残念だったことを一つ上げれば、シェヘラザードはネタとしては非常に大きいので、FGO内の1章だけでなく、また別のゲーム作るとか、もう少し別の形での顔見せは不可能だったのかなと思ってしまったが、今回も扱いが小さいわけではないからなあ。

しかしシナリオ担当が公表されないことに対して、僕は最初「みんな個人名で責任持って仕事している一線のライター達なのに、なぜ隠す必要があるのか? 竹箒日記でほのめかしまでする意味は??」と懐疑的だったのだけど(もちろんライター陣がそれで納得しているなら問題なんてないのだけど)、最近のFGOの異常なまでの広がり、そして数の暴力によって産まれ得る冷静とは言い難い言質の数々を見るに、やっぱり隠しておいた方がいいのかもな……と同情的になってきた。