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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

た、体力が……

先月インフルエンザにかかってから(それ以前から傾向はあったが)、なんだかあまりにも体力がなくなってしまって、電車の中で本を持つのすら厳しくてiPhoneで電子書籍を読んでいるぐらいだ。文章を書くのに必要なのも結局は体力なので、最近内容を詰めきれないことが多い。まあ、とはいえ原因不明の奇病とかでない限り1.走ったり運動したりして体力をつける。2.休みを多くとるようにする。3.このままの生活を続ける の3パターンぐらいしか分岐点はないわけだけれども。

いつもだと2を選んでいたわけだけれども、ここらでいったん身体的に仕切り直すのも悪くないのかもしれない。

マグニフィセント・セブン

わりとおもしろい。

荒野のなんちゃらと七人の侍の影響を受けているだか精神的後継作だからしいが、どっちも観たことがない。

不当な理由で追い出されようとしている町に、よそ者である凄腕用心棒7人が集まってめちゃくちゃ数が多い相手に決死の防衛戦を挑むという単純な話なので特にいうことはないのだが、僕はどうも昔から"防衛戦"の概念にひかれるのでその観点からも楽しくみれた。罠をはり、誘導し、勝利条件が敵の皆殺しではなくてもかまわない──というところに防衛戦のおもしろさがあるのだが、最後のはともかくとして十全にいろいろな戦略がみれて楽しかった。あとたくさん人が死ぬし。

ただ、やっぱり個性的な7人を集めるのにそんなに尺がとれなかったせいで7人中3人ぐらいえらい雑な形で仲間になるし、一人戦いにのぞむにあたって問題を抱えているやつがいるのだがこの処理の仕方(情報の出し方と回収の仕方)がえらい雑。映画をみているだけではよくわからん因縁の対決(インディアン同士)もよくわからんしと微妙に目のつくところこそあれど、別にそんなのはどうでもよくバンバン打ち合ってかっこよく殺し合ってくれるしカッコイイおっさんがいっぱいでてくるので(西部の服装もめちゃんこかっこいいし)それだけで良い。

あまりにも進歩が早すぎて

なんか先週一週間ぐらいで「ええ、そんなことがもうできるの!?」と思うような成果が次々とニュースとして出ていて、恐らく今リリースを準備しているサービスも無数にあって、僕も小さなベンチャーだがそこでも日夜機械学習だ、文章の自動生成で金儲けだとチャレンジを続けていると「なんかもう進歩が早すぎてほんの三年先もよくわからんよなあ」と思ってしまうのだった。
AI応用、がん早期発見精度99%以上に VBが技術開発 :日本経済新聞
「Google翻訳」アプリ、iPhoneカメラでとらえた英文を瞬時に和訳可能に! - iPhone Mania
人間の細胞含むブタの胎児作製成功…臓器作りへ : 科学・IT : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
完全自動決算サマリー by NIKKEI
これだけのリリースがほんの3日ぐらいの間で出ているわけで(これ以外にもまだまだある)、ちょっともうわけがわからんというかついていけないところがある。Googleの画像リアルタイム翻訳は精度があまりに低いけどこれは辞書をアプリに入れて内部で処理しているからで(たぶんやり取り頻度の問題でしょう)実質的にはGoogle翻訳の精度が(画像認識の精度の限界こそあれ)そのままリアルタイムの画像翻訳にも使えるのは間違いがない。実際問題もう英語なんか勉強する必要ないでしょ。

僕はいま27だけどきっと癌で死ぬんだろうなあとおもいながら暮らしていたが、ひょっとしたら癌では死なないのかもしれないなあ。あと10年は文章が金になると思っていたけれど、うーん。小説の自動生成にはまだそれ以上はかかるとおもうけれど、書評とかは……。まだ長文ならともかく、500字〜2000字ぐらいの書評は概ね置き換えられるでしょうね。でも(プログラムをわざわざ組むことのうまみが少ないから)見過ごされたまましばらくはまだ生き残るかもわからん。

いずれ人工知能によって仕事は置き換えられるが最後に残るのは人工知能をつくる仕事だからとそっち方面にスキルをふっておいたのは今でも正しかったとは思うが、もうそういう問題ではないような気もする。

一日何文字書けるのか

一日何文字書けるのか。

ああああでいいんだったらコピペで何千万文字も書けるだろうがそういうことではなく意味のある文章をどれぐらい書けるのか。他人の話ではなく自分の話である。僕は基本的に書評だかレビューだかのようなものを書いているから、その想定はあまり意味がないが、何万文字かある原稿を書くときは当然ながら一日の執筆ペースから逆算してスケジュールを組まなければならない。なのでいったんまとめておこう。また僕は基本的には日頃働いているわけだから一日フルで使えない場合の方が多いが、その辺も勘案するとどうだろうか。

まず第一に重要なのは"何を書くのかによる"ということである。たとえばブログ記事だったら大目に見積もっても2時間でだいたい一つ仕上がる。場合によっては1時間〜1時間30分ぐらいである。これはだいたい2000〜3000で、3000に近づけば近づくほど2時間に近づくと考えていい。つまり理論上は休日に8時間書けば×4で12000文字書けるのか。いやそうではない。

一記事書くと5キロぐらい走ったかな? というぐらいに疲れているからすぐにじゃあ次の文章を書こうか、とはなかなかならない。これは僕が基本的にそこまで大量に書くことを迫られたことがないからというのもあるが、まあそうでなかったとしても「がっつり集中して2時間で仕上がる」というのと「それを連続してできる」というのが別なのは確かであろう。とりあえず特に無理せずやると、2時間ガッと書いた後数時間置いてもう一回書くのは普通にできる。となると僕の休日に見込める文章量はだいたい6000文字なのか。

といってもそうではない。ブログ記事の場合は基本的には書く本は一冊である。裏をとるのも読み返すのも一冊分でいい。これがSFマガジンのような月レビューだと10冊程度をまとめて紹介することになり、読み返し確認する時間が単純に考えて10倍。さらには好きなだけ書いて終わりではなく規定の文字数/行数に収まるように全体を調整しないといけないのでこれにも時間がかかる。結果的に4時間/1500字程度にまで生産効率は落ちる。連続して8時間稼働するのは無理だが、間を置くことで8時間3000字ぐらいは一日に達成できるが、そうなると一日の生産効率は3000字になってしまう。

これは基本的に冊数が増えれば増えるほど大変になる。たとえば4冊で1000字みたいな条件だとさらに効率は悪くなる。ただ、その4冊がこちらで指定可能な場合はその限りではない(自分の得意分野/時間のかからない物を選択できることによって調査の時間が減るから)。また一冊で800文字などの原稿の場合はブログの場合を考えると40分ぐらいで終わるのかと思いきやそうではない。最低でも2時間〜3時間はかかる。これは情報を圧縮する過程が入るからである。

またこういう文章はただ思考過程を垂れ流しているだけなので文章を書く手がとまる時間が一切ないし、執筆時間=そのままタイピング速度になるので文章量の生産性は非常に高い。その意味で言えばもっとも手早く文章量を書けるのはエッセイになる。ただこれは何を書くのかが決まったら自動筆記のように書けるという話であって、無限に書き続けられるわけではない(何のテーマにするか考える事前の時間が必要)。

むかし試しに小説を書いてみたことがあるが、小説の場合はエッセイに近くその上テーマは最初に考えたらあとは16万文字ぐらい書き続ければいいので一日二万ぐらいは普通に書けた(疲れるまでタイピングするとそれぐらいになった)。ただ小説の依頼がくることも、自発的に書くこともたぶんないだろう。

そんなところか。何十冊かのガイド本について書くのが一番生産性が悪く、逆に一冊について長々と書いたりエッセイを書くのが金銭への変換効率としては一番良いことになる。まあ、他人にとっては何の意味もない話だが、(ぼくが)スケジュールを見積もる時には参考にできそうな思考だ。

社会に物申す

数年前の自分のツイッタの発言とかブログの記事とかを読んでいると今の温度差との違いに驚いてしまうことがある。どんな温度差かというと、やたらと世の中にたいしてこうした方がいいとか書いたり、お役立ちの思考法とかを書いたり、ようは今よりもよほど他人に干渉しようとしているんだな。で、今もそういうことを書くこと(数日前のこのブログの記事とか)はあるのだが、よほど数が少なくなった。僕が単に歳をとったのもあるが、あの頃は仕事で鬱屈が溜まっていたこともあって常に負荷がかかっていたような気がする。行き場のない文章の行き着くはてであるこのブログの更新頻度もやけに高かった。

それが、仕事をやめて、ほとんどストレスのかからない仕事に(通勤がいらず、だめな上司がおらず、理不尽な仕事をふられず、出社するときも私服でいい)変わった途端、他人に対して干渉したいという気持ちが大部分なくなってしまった。自分単体で幸せなのに他者に干渉するだろうか? つまりかなりの部分満たされてしまったからで、自己完結的に満たされて=幸せなために余所へとちょっかいをかける必要がなくなったのだろう。いまはそういうわけでたいへんに楽しい日々をおくっているだが、昔の発言はそれはそれでおもしろいというか興味深い切迫感があるなと思う部分もあるので良し悪しだなと思うのであった。

とある原稿を書き上げた後の机の惨状

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とある原稿を書き上げた後の机の惨状である。単純に趣味で読んでいた本も入っているがこの雑然とした状況を見るとうーん頑張って書いたな…という気分になる。もちろん一冊だけについて書いたならこんなことにはなりませんが…

いろいろな雑感

近況。これまでプログラムは金を稼ぐ手段としか思ったことがなかったが、Rubyで毎日コードを書くようになってからはじめてプログラムの楽しさに気がついたのはこの二ヶ月ぐらいの大きな収穫。うーん、楽しい。ずっと書いていたいと思うほどではないし頭をつかうので疲れるが……。プログラム仕事が終わったら文章書きの仕事をしなければならないわけで延々と文字を書き続けている=文字で金を稼ぎ続けているといえる。

文章はいくらバグってもだいたい相手に情報は伝わる=誤字とか多少変な文章構造、思い違いがあっても大まかな意図は伝わるが(あるいはそもそもバグがあろうがなかろうがさっぱり意図が伝わらない)、一方でプログラムはバグるとそもそも結果が出力されないかわりにバグがなければ綺麗に想定通りの結論が出るので同じ文章書きといってもバグと出力結果がまったく異なり、気を使う部分も同様に違うので一日プログラムしたあとでも文章は普通に書ける。

ネットのデマについて

あまりにもネットにデマが多すぎる。そもそもたかがネットの発言をリツイートしたりはなから信じ込んでしまわなければいいのだが(公式発信のもの、現実に起こっていることの情報(地震とか)を除く)、なかなかそうもいかない。だから個人ブログもツイッタも読まなければいいと(個人ブログもツイッタも書いているにも関わらず)思う。他人に対してブログを書け書けいう人間もいるが、個人的にはどんどん書くのをやめてもらいたい。