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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

社会に物申す

数年前の自分のツイッタの発言とかブログの記事とかを読んでいると今の温度差との違いに驚いてしまうことがある。どんな温度差かというと、やたらと世の中にたいしてこうした方がいいとか書いたり、お役立ちの思考法とかを書いたり、ようは今よりもよほど他人に干渉しようとしているんだな。で、今もそういうことを書くこと(数日前のこのブログの記事とか)はあるのだが、よほど数が少なくなった。僕が単に歳をとったのもあるが、あの頃は仕事で鬱屈が溜まっていたこともあって常に負荷がかかっていたような気がする。行き場のない文章の行き着くはてであるこのブログの更新頻度もやけに高かった。

それが、仕事をやめて、ほとんどストレスのかからない仕事に(通勤がいらず、だめな上司がおらず、理不尽な仕事をふられず、出社するときも私服でいい)変わった途端、他人に対して干渉したいという気持ちが大部分なくなってしまった。自分単体で幸せなのに他者に干渉するだろうか? つまりかなりの部分満たされてしまったからで、自己完結的に満たされて=幸せなために余所へとちょっかいをかける必要がなくなったのだろう。いまはそういうわけでたいへんに楽しい日々をおくっているだが、昔の発言はそれはそれでおもしろいというか興味深い切迫感があるなと思う部分もあるので良し悪しだなと思うのであった。

とある原稿を書き上げた後の机の惨状

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とある原稿を書き上げた後の机の惨状である。単純に趣味で読んでいた本も入っているがこの雑然とした状況を見るとうーん頑張って書いたな…という気分になる。もちろん一冊だけについて書いたならこんなことにはなりませんが…

いろいろな雑感

近況。これまでプログラムは金を稼ぐ手段としか思ったことがなかったが、Rubyで毎日コードを書くようになってからはじめてプログラムの楽しさに気がついたのはこの二ヶ月ぐらいの大きな収穫。うーん、楽しい。ずっと書いていたいと思うほどではないし頭をつかうので疲れるが……。プログラム仕事が終わったら文章書きの仕事をしなければならないわけで延々と文字を書き続けている=文字で金を稼ぎ続けているといえる。

文章はいくらバグってもだいたい相手に情報は伝わる=誤字とか多少変な文章構造、思い違いがあっても大まかな意図は伝わるが(あるいはそもそもバグがあろうがなかろうがさっぱり意図が伝わらない)、一方でプログラムはバグるとそもそも結果が出力されないかわりにバグがなければ綺麗に想定通りの結論が出るので同じ文章書きといってもバグと出力結果がまったく異なり、気を使う部分も同様に違うので一日プログラムしたあとでも文章は普通に書ける。

ネットのデマについて

あまりにもネットにデマが多すぎる。そもそもたかがネットの発言をリツイートしたりはなから信じ込んでしまわなければいいのだが(公式発信のもの、現実に起こっていることの情報(地震とか)を除く)、なかなかそうもいかない。だから個人ブログもツイッタも読まなければいいと(個人ブログもツイッタも書いているにも関わらず)思う。他人に対してブログを書け書けいう人間もいるが、個人的にはどんどん書くのをやめてもらいたい。

最近の作業状況

MacBookAirを買ったので外で作業することも増えた。

やはり外の方が捗るのはたしかなのだが僕は本について書くことが多く一冊だけについて書くのであればそれでいいのだが10冊とか20冊とかについて書くときもあるのでそういうときは外で作業するのは現実的ではない(電子書籍で持っていれば別だがそういうこともないし)。外での作業場所はドリンクバーのあるガストやらのファミレスかジョナサンのようにコーヒーがお代わり可能なところで、ドトールとかは机が狭いのとわりと混んでいるのが申し訳なくあまり用いない。

もともとは書いているときは音楽を聞いていたがもう音楽を聞くのも飽きたし、それに音楽を聞いていると思考効率が落ちるような気がしてきたので音楽を聞くのはいったんやめた。ラジオもやめて、無音でしばらくやっていたのだが最近HuluとNetflixに加入してしまったのでとりあえずなんか映像を流しておくかということでドラマやら映画やらを流している。とはいえ書いている間はまったく耳にも入ってこなければ眼にも入ってこないので本当にただ流しているだけで意味があるのかよくわからない。とにかくあまり邪魔にはなっていないようなきがする。

いったいどのようなスタイルが最適なのかいまだ模索中である。できれば外にいきたいものだが、本持ち運び問題がなあ。あと書いている時に流すものも含めていろいろと検討していこう。

設定先読みとミステリの推理と

伏線が散りばめられた作品というのがこの世にはあって(Fateとか)、伏線を詳細によんでいくと先の展開を予測できることが多々あるんだが、僕なんかはそれって自分で勝手にやるネタバレじゃない???? という気がしてしまう。同様のことはミステリの謎解きにも通じていて、ようは途中で謎をといてしまったらラストの驚き、減らない???? それネタバレじゃない??? と思ってしまうので、できるだけ犯人は誰かとかどういう理屈かとか考えずに読んでしまうのである。別にそれが正しい=伏線読みや事件の推理はイコールネタバレである、と主張したいわけではなく、まあ考え方のひとつとしてそういうこともある(というか現に僕がそうであるから、少なくとも一つの例は存在する)よねという話である。

日記(11月28日)

『天界の目 切れ者キューゲルの冒険』を読む。サイエンス・ファンタジィといっていいのかどうかわからんが、おもしろい。『マラス 暴力に支配される少年たち』の原稿をざっと仕上げる。本日推敲し、明日送付予定。『タイムボックス』を読む。児童向けファンタジィの様相だが、実態はSFなので海外SF欄で紹介することにする。次号のSFマガジンで取り上げる海外SFリストを編集氏に送信。原稿方面の方はそれなりに仕事をした一日。

MacbookAirが届いたのでセットアップ。プログラム方面はまだやっていないが、原稿・ブログ方面だけならだいたい設定は共通しているので30分で終わり母体のMBPとまったく同じ環境に。これで外でも仕事できるね。早速持ち運んでいるけれど、たしかに大きさは気になるが持ち運べない程ではない。小さいほうが良い面もあるだろうが、大きくて良い面も当然あるだろう。ちとドトールとかで広げるにはデカくて人目を引きすぎるような気がしないでもないのがあれか……。早速外で使ってみたが、やはりネットにつながっていないほうが作業がもろもろ進む。はやく外でやりゃあよかった。

本日からFGOのクリスマスイベントがスタート。今熱心にやっているソシャゲはこれだけだが、これ以上は増えると時間がない。一時期ミリオンダウトというポーカーにダウトの要素があるカードゲームをしきりとやっていたがこの時間のない現状では手を出せずアンインストールしてしまった。時間がないと必要なもの以外をガンガン削除できるのである意味効率化は図られているのだろう(もし締切がなく本業しかなかったら今頃延々とミリオンダウトとファイナルファンタジーをやっていたに違いない。それはそれでいいんだけど……)

ではそんなところで。今日もまた2冊ほど読んで、マラスの原稿を仕上げてブログ記事を上げたいところ(そのペースでないともろもろ間に合わない件)。

日記(11月27日)

わりといろいろ読めて助かった。『マラス 暴力に支配される少年たち』を書評甩献本でいただき読む。わずか10歳程度の頃に父親をギャング団に殺され、復讐のために敵対している別のギャング団に入るという「お前はジョルノ・ジョバァーナかよ」みたいな人が何人も出てくるおもしろいノンフィクション(まだ未刊行だと思うけど)。他には『藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』、『村上春樹と私』を読む。村上春樹と私は村上春樹の有名な英訳者ルービンの村上春樹語りエッセイ。訳者ならではの視点と交流がおもしろい。しかしルービン氏はもうおじいちゃんだなあ(それを言ったら村上春樹だっておじいちゃんだ)。

「基本読書」をニワトリで更新。やけに書くのに苦戦する。本が書きづらいタイプというわけでもないのだが……。更新が1日空くぐらいなら特に問題ないのだが、3日空くと文章を書く勘を取り戻すのに1,2記事かかるような気がする。「あれぇーどうやって文章って書いたら良いんだっけな……」というのがよくわかんなくなっちゃうんだよなあ。気のせいかもしれないけど。だからできるだけ毎日文章は書きたいのだけど(こういう日記だと勘が戻らん)なかなかそうもいっていられない。

艦これの映画を観に行きたいような気もするが、TVシリーズを観ていない。これは結局観に行かないコースだ。それどころか『聲の形』すら観てないからなー。こっちはもうやってないだろうな。本日(11月28日)はMBAが届く予定なので心持ち嬉しい。なんとか11月に間に合ってくれてよかった。今日の目標はマラスの書評原稿を上げることである。