基本雑記

日記ブログ

7/8

晴。午前中にいくらか本を読んだあと11時から作家や編集関係者らが集まるボドゲ会へ。わりとその模様を公開するだけでイベントになりそうな豪華メンバ。

15畳ぐらいありそうなレンタルルームのようなところを一日借り切って行われた会だがなんと1日3000円だという。キャンペーン期間中というが安すぎる。ボドゲは狂気山脈やらタイムうんちゃらやらカードゲームも含めていろいろやったが多くて名前が覚えきれなかった。狂気山脈おもしろいなあ。とはいえ、どれも大変楽しんで22時頃に帰宅。やはり5人〜10人ほどいてゲームがいっぱいあって自由に物が食べられるスペースがあるとたいへん楽しい。そりゃ当たり前か。

シノビガミとかパラノイアとかのTRPGとかもやってみたいけど(一度もやったことない)やる機会がないままここまできてしまった。ま、いつかあるか。本当はもう少し本を読まないと行けなかったのだが帰ってきたら疲れ果ててしまい就寝。

今日あったこととは関係ないのだけど、たとえばひでえ脚本のオリジナルアニメを見たとして、ただその脚本の人と個人的に知り合いで実はこういう裏事情があってひどい脚本になってしまったのだ……と聞かされたら、僕はそれについてひでえ脚本だなと呟いたりブログに書かなくなったりするかどうか考えてみた。僕の場合そこにはあまり関係なくひどいなと思ったらひどいと書くだろうなと思った。なんというか、そのあたりの経路が僕の中であまりうまく繋がっていかないような気がするんだよね。まあそもそもひどい脚本のアニメに言及することなんてほとんどないんだけど(そんなのたくさんあるし)、まあ類似状況というのはいくらでも考えられて、そういうケースもひっくるめてのことである。

07/07

曇。七夕だったらしい。特に家から出ることもなく一日中引き篭もって過ごす。昼寝ばかりしていた。本は川上洋一『東京いきもの散歩──江戸から受け継ぐ自然を探しに』を読む。東京の各地をめぐっていきものを発見していき、ついでに各所の歴史の勉強にもなる一冊。小学生ぐらいの時に読んだらこの本を頼りに近所を探索に行くだろうなあという内容だ。他、原稿用の本をいくつかと『ロケットガールの誕生: コンピューターになった女性たち』も100ページぐらい読んだ。

かつて「コンピュータ」という言葉はそのまま「計算する人」を意味し、大恐慌の時代にアメリカは公共事業促進局の一員として450人(うち76人は女性)のコンピュータを雇用していたとかそのまんまな文章がおもしろい。それ以外はPUBGをちょっとやったぐらいで早めの就寝。

07/06

雨。通常通りの業務。ふられた機能をどう実装していいのかまるで検討もつかなかったが調べていくうちに度目処がついたので安心。来週は余裕をもって実装に入れそうだ。しかしslim3なんかいまさら勉強したところで意味ないよなあ。夜はゲンロンカフェで小川哲☓飛浩隆☓東浩紀☓大森望の会に遊びに行く。盛況で何より。小川さんも東さんも激しくワインを飲みまくっており特に小川さんは相当酔っ払っていたようだ。笑いの絶えないとても楽しい会だった。飛さんの話がもう少し聞きたかったぐらいかな。零號琴の話とか聞きたかったし(最後に質問したけれども)。

人の多い場は苦手なので特に誰にも話しかけずに早々に退散。ゲンロンカフェって行くのは2年ぶりぐらいだけど今は良い循環に入っているように見えるなあ。講座などはそれ自体の収入もあるけど、そうした講座に参加してくれた人たちがゲンロンという場をホーム的なものとして認識してくれるようになるわけで、講座を重ねれば重ねるほどそうした人たちが増え、イベントにも参加してくれる割合が増えるんじゃないかな。そういう常連みたいな人が2年前と比べるとずいぶん増えているように見えた(今回はSFというテーマだからこそなんだけど)。しかし19:00開始の終了が22:30ぐらいだったので食事をとって家に帰ったらもうほぼ寝る時間に。だが家に帰ってゲームしていたらいつのまにか3時になっていたので就寝。

本は瀬尾つかさ『ウェイプスウィード ヨルの惑星』を読む。3篇の連作中篇集。25世紀、海に覆われた地球の風景、異種生物SFと好みのライン。おもしろいけど、紹介するようなフックはないかなあといったところ。イラストは素敵だ。

ウェイプスウィード ヨルの惑星 (ハヤカワ文庫 JA セ 2-3)

ウェイプスウィード ヨルの惑星 (ハヤカワ文庫 JA セ 2-3)

日記 07/05

試験的に日記を書くことにした。

1年ぐらい前はRubyでよくわからんプログラムを書き続けていたがその後PHPでサイト構築をやりGAE/GO&Angular/TypeScriptでフロントをやり最近はGAE/JAVAでサーバ側の処理を書いている。フロントもサーバも書きJavaもPHPもRubyもGolangも書けるといえば聞こえはいいがそれぞれのスキルが深いわけでもなく器用貧乏極まりないスキルセットだ。Javaなんか書きたくないが求められれば書かざるを得ない。またRubyの仕事でもやりたいなと思っているので──というかやる言語が3ヶ月ごとぐらいずつ変わり続けて継続的な知見がたまらないのもどうかと思い始めてきたので、来年はRuby案件を探そうと思っている。何にせよ来年の話である。

本は『吸血鬼の英文法』を読む。英語話者向けの本でしっかりとした作りの英文法本。ただし例文のほとんどは吸血鬼などのモンスターが当たり前のように出てくる内容でふむふむと例文を読んでいくだけでもおもしろい。また『うなぎばか』も読む。シンプルにおもしろい。本としては二作目とは思えない自由さ。著者のツイートのような小気味よさがあるこれは記事を書く。ゲーミングPCを買ったのでセットアップをしてPUBGとrealm royaleをやる。下手くそすぎてどっちも即死。

VRchatの世界をウロウロしているとVRが欲しくてたまらなくなる。ちょっと遊びに金を使いすぎなので自重しているが買ってしまいそうだ。娯楽費が1年で200万近いんだがどうも単身男性としては使いすぎなような気がする。

メガロボクス

あしたのジョー原案のアニメ。全13話。「原案」なので世界観もキャラクタもまったくの別物。荒廃した世界で、身体能力を向上させる様々な機能を持った”ギア”を付けたメガロボクサーたちが戦う一大イベント「メガロニア」に、正規のIDを持たないジョーことジャンクドッグが挑む──この大舞台でしか戦うことの出来ない宿敵、勇利(実質力石徹)と戦うために。とかそんな感じの話で、多くの要素はあしたのジョーからきている。

ウーンと思うところもあるが、楽しく観れた作品だった。本作自体があしたのジョーのいわば「偽物」に当たるわけだが、それを投影させるように作中のジョーたちが「偽物」から「本物」になれるのか!? と挑戦を続けていく。プロットとして特別なことはほとんどないぶん驚きみたいなのはないけれども、各話数ごとの進め方はとにかく堅実にうまい。「立つんだ、ジョー!」などの超有名ゼリフをどう再現するのか──などのメタ的な見方ができるのもいい。実際、そのセリフが飛び出す第11話は非常に燃える、熱い回だ。

最後までテンションが上がらなかったのはギアの扱いとボクシング・シーンがぜんっぜんおもしろくないことで、こればっかりはどうにかなんなかったのか……と思うばかりであった。特に最終回がなー……。このシナリオでいうとギアがこの扱いになるのはもうしょうがないし、ギアの扱いを変えるんだったら根本的に別の話にしないといけないので文句を言ってもしょうがないとは思うんだが(メガロボクスの中で注目を集めるためにジョーはあえて”ギアレス”、つまり生身のボクサーとして戦うことを選び、ギア持ちの相手を倒していく)。

ギアの性能差の話などがもっと話に絡んでくるのかと思いきやそうしたテクニカルな話はほとんどなく(あるにはあるんだけどなー)、最終的な展開などもあって「わざわざギアとかいう設定つける必要あった?」と思うしかないところなのだが、じゃあ仮にこれを普通のボクシングにしてたら、どうあがこうともそれまんま「ジョー」になっちゃってリメイクと大差なくなるよねという話もあり、いろいろ難しいところだ。判断としてはわかる。それとは別にボクシング・シーンがめちゃくちゃつまらんのはもうどうしようもないのだろうな。

最終話は勇利vsジョーの一番盛り上がるべき決戦なわけだがなんの臨場感もないボカスカ殴り合っている場面が続くだけではあ、早く終わってくんねえかな……という気持ちになってしまった。セリフとしてもぐっとくるものがまったくなし。まあ、もちろんいろいろとIP上の制約があるんだろうし制作側としても本意ではなかったのかなとか推測してしまうところもあるが、それにしたってなー。とはいえわざわざちゃんと最終回まで見れるほどには毎週楽しみにさせてもらいました。ありがとう、ありがとう。

土台を作り直す

huyukiitoichi.hatenablog.com
↑の記事の続き。小手先でどうこうするのではなく、とりあえずしばらくはお酒を飲むのを辞めて(最近暇なこともあって週に4〜5日ぐらい酒を飲むようになっていた)、運動をして(家のすぐ近くに区の総合体育館があることに気づいた)、身体という土台を作り直してからじっくり考えようという結論に至った。先日も二回目のギックリ腰をやってしまったし、結局もう若くはないということなのだろう。一歩一歩、じっくりじっくりやっていこう。

目標はあらかた達成してしまった

最近、学生時代に思い描いていた目標はあらかた達成してしまったなと思った。好きなだけ本とゲームが買えるだけの収入があるし、嫌になったらすぐに仕事を変えることのできる技術力があるし、だいたい好きな場所で働けるし、時間もけっこうあって、好きなようにブログが書ける環境がある。そのあたりを大学生ぐらいの頃は目標としていたわけだが、全部叶ってしまった。もちろん凄まじいスペックのパソコンがいくらでもほしいし、家は広ければ広ければいいので物欲的な意味では欲しいものがたくさんあるわけだが、そういうのはなんというのかな、今あるものを膨らませていく方面での目標なので、現状が特にダメというわけでもない。

そうすると、なにか次の10年、20年、30年ぐらいの目標でも考えようかなあという気分になってくるが、何をやってもいいかわりに特に何かを特別やるという気概も湧いてこないのでぼんやりしている。別に10年頑張ればそこそこ何でも楽しいだろうとおもうのでなんでもやれるとおもうのだが、特段その中から一つを選ぶような動機が湧いてこない。先日飲み会で40ぐらいの人と話していて似たようなことを言っていてウームなるほどな、僕もずっとこうやって10年20年といった月日が経っていくのかもしれないなと思ってしまったのはある。

達成してきたことの重みが歩みを引きずっていくところもあるのだろう。たとえばブログなり書き物仕事なりをぱっとやめてしまう。プログラマとしての仕事をぱっとやめてプログラミングを全部忘れて生きていく。そういうことができれば空っぽになってぜんぜん別のことをやるしかないわけだが、うーん、せっかく今までやってきたんだから、ここまでせっせと積み重ねてきたものがあるんだから、これはこの先も発展させていかなきゃ勿体無いでしょ、という気持ちが凄く強く湧いてくる。勿体無いのは確かだが、でもそうやって勿体無い勿体無いと前やったことをやっているとようはそれだけ別のこと、新しいことをやる時間は減るわけなのであって、これが長いあいだ続いていってしまうとそれはやはりマンネリに繋がるのだろうな。

ぱっと思いつくのは、やはりこれまでやってきたことの「発展」をもっといろんな方向にふっていく、変えていく、どんどんおもしろいほうこうに持っていくといったところだろう。実際、プログラムしていると今もすごく楽しいし、新しい技術を学んでアレを作ってみようかこれを作ってみようかとやっていくのもいい。文章を書くのもまったく飽きたという感じはしない。ただ、その軸をちょっとずつズラしていく、というのはひとつの手なのかもしれない。たとえばだが、書評を文章で書くんじゃなくてイラストで書く。あるいは書評を曲にしてみる。意味がわからんが、そうなったらこれまでやってきたことと新しい領域が重なり合っていく。

そういう「発展」の方向を模索してみるべきなのかもしれない。達成してきたことの重みを引きずりつつ、ちょっと別の角度へ向けて歩いていく、といった感じか。