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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

突飛な話を聞いてもらうためにどうしたらいいのか

わが仕事の部署は毎朝朝礼のあと一人数分で、短い話をするのだがこれが結構クセモノだ。最初は20人ほどいた部署の人達も経費削減に伴い一人へり二人へり今では11人。一ヶ月に二回ほど回ってくる計算で、一ヶ月や二ヶ月ならいいものの一年も続くとけっこうめんどくさくなってくる。僕の場合はぶっちゃけ話すネタがなくなるということはないのだが、その代わりに「何を話したらいいのか」をかなり気を使って考えることになる。

たとえば最近読んで面白かった話をしたらどうだろう。アマゾンのピダハン部族について僕は同業界でたぶん5本の指に入る詳しさだが(その本を一冊読んだだけだが、どうせほとんど誰も読んでない本だ。嘘ではない)それが面白かったからといってペラペーラとしゃべっても「え、なにこの変な人……」とおもわれるだけである。

まあなんというか傾向として多いのは一般的な話が多い。当然だろう。子どもの話とかどこいったとか食べた話とか趣味の話とか。そんな中いきなりピダハン部族の話をしはじめたら何かがおかしいと思われてもおかしくないだろう。やはり話をするにしても「場」があるわけで、その「場」を読まなくてはいけない。僕は随分その場を読むというのがよくわからなくて空気の読めない行動を数々とってきたのだが最近ようやくわかってきた。

大多数の人は自分とあまりにかけはなれた話に興味が無いのだ。だから「なんでも話していいよ」という場でも「じゃあ宇宙の話をするよ」といっても無駄なのだ。と、ここまでなら当たり前の話である。ただ僕はどうしてもピダハンの話がしたかった。実をいうと明日が僕の日なのだ。まあ例としてわかりやすいからピダハンをあげたのだが、明日はヒヨコの雌雄識別師がいかにしてその雌雄を識別する眼力を養うのかという話をしようと思っている。

過去の分析から得た僕の結論はこうだ。つまり人はいきなりピダハンとか、ヒヨコの雄と雌の識別の話などされてもどうでもいい。あまりにもどうでもいいしあまりにも自分の観測・好奇心範囲から外れている上に誰もそんな外れ方をする人間はいないため「変だ」と思うのだ。変だと思われたらその変なやつは「例外」というカテゴリーに押しやられて、どんなに素晴らしい内容を語っていたとしても「カテゴリエラー」として扱われてしまう。

なので僕が何もこの朝のお話からだけで気づいた結論ではないが、言いたいのはこういうことだ。「突飛な話をする時は日常的な話から始めるか、日常的な話で落とせ」ということだ。ヒヨコの雌雄識別師の話を例に取ろう。ヒヨコの雌雄というのは見た目だけでは判断が非常に難しく、どんなに眼を凝らしてみても言語化可能な特徴としての識別は困難なのだ。

ヒヨコの雌雄識別師はしかし、ぽいぽいぽいぽいと驚異的な速さで雄と雌と見極めてダンボールに放り込んでいく。彼ら彼女等はどうやって判断しているのか? と尋ねると、「なんとなく、直感でわかる」と答えるのだ。なんじゃそりゃ。とにかく雌雄識別師たちには言語化可能な形ではそのノウハウは持たれていない。ならばどうやって雌雄識別師たちは雌雄識別師となることができたのか。

その訓練法がおもしろいのだ。識別師はその秘訣を言葉で教えることができないので、実施訓練を行う。新人の識別師はヒヨコを前にし、よくわからんが直感にしたがって「雄だ」とか「雌だ」とかいう。もちろん新人なのでまるっきり直感だし、何もわかっていないでただ適当に言っているだけだ。それを後ろでベテランがみていて、違う場合は「違う」と否定する。

このように新人識別師がわけもわからず直感で選んだ結果を「違う」「あってる」などと判断され続ける内に、新人も自分ではなんだかよくわからないけど眼の前にいるヒヨコが雄なのか雌なのか判断できるようになるのだ。不思議な話だが面白くないだろうか。ようするにこれは「暗黙知」の話なのだ。言葉では伝達不可能な、観察によってでしか伝達できない知識というのがこの世には確かにある。

現代の仕事においてはマニュアルが非常に重視されているが、このような暗黙知の存在が意外と大きいのではないか。マニュアル、言葉にして伝達できることだったら正直言って日本語が出来れば誰にだって出来るのである。重要なのは、言葉にできない部分の技能である。どんな言葉も情報になってあっという間に伝達してしまう現代だが、そのような暗黙知は現代でもまだ伝達不可能なのである。

と、こんなように突飛な話を聞かせたい時は無理矢理でもなんでもいいから日常的な話題に帰結させないと、聞いてくれないよな〜と思ったんでした。明日はがんばるぞー。