基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

さくら荘のペットな彼女(5巻時点の感想)

ライトノベル。とりあえず5巻の途中まで読んだ。総評は現在の最新刊まで読んだところ(もしくは読むのを諦めたところ)で書くとして、現時点でのメモ的な感じで。書いとかないとライトノベルサイトだと思ってもらえないからね! 大雑把に説明すると圧倒的な絵の才能があるものの知的障害気味の依存型美少女を男が世話をやいてあげるというまあどこかで聞いたような感じの話なんだけど(最近だとWhite Album2とかね。キャラクタ設定とかまで含めてよく似てるんだよなあ)個人的にキツイ部分が二箇所ある。

一箇所目

才能があるものの知的障害気味に日常のことが何もできないというのはいいんだが、あまりにもそこを誇張してわかりやすく設定されると欲望がグロテスクに強調されて気持ち悪い。日常のことが苦手なヒトというのはよくいる。いわゆる天才象というやつだ。集中したら他の物事が目に入らなくなるとかね。分り易くするために、またキャラ立ちという意味でも本作ではその点が強調されすぎていて、それを文句をいいながら世話をする男の子という構図に若干ひいてしまう。

かわいい女の子の日常的な世話をやいてあげて、惚れられるのは確かにうらやましい。うらやましいが、本来あまり喜ばれるような関係性ではないだろう。相手の不利につけこんで関係性を構築しようとしているのと同じだからだ。もっとも人間関係なんてものはだいたいにおいて相手のふりにつけこんだ関係性というものなのかもしれないが(特に経済ではそれは比較優位であって推奨される行為だ)。

問題は「何もできない相手の世話をしてあげることで特別な関係になりたい」という動機は容易に「相手が世話を必要としなくなるのが怖い」という感情を持たせる。なので世話を生きがいとする人間は「出来るようになってしまっては困る」のだ。その思考がグロテスクと書いた理由である。本作でも空太という主人公は異常なおせっかい、世話焼きという設定で世話を焼きまくる。

しかし彼は相手に自立を促したりしない。本来、真っ当な感覚、思考を持っていれば「今は何もできないかもしれないけど、段々できるようにさせてあげる」のが筋だが「何も出来ない女の子の世話をやいてあげたい」という欲望はそれを否定するのだ。

二箇所目

これは単純に僕の主観的好き嫌いなんだけど、ボケとツッコミがあんまりおもしろくない。練度という意味でもそうだけど、基本的に怒鳴り漫才なんだよね。「ふざけるな!」みたいな。空太っていうキャラクタがすきじゃないんだな。よく怒ってるし。まあこの辺は「嫌い」ってだけで細かく書くようなことでもないんだけど。結局世話焼きが何も出来ない女の子を介護するというコンセプト時点での違和感からくる「嫌い」なので根は同じ問題といえるかもしれない。いや違うな。ボケとツッコミがつまらないのは単純に技術力の問題である。どうでもいい。

でもつまらないわけじゃない

おもしろい。上には書いてないが、さくら荘にはペットな知的障害者と世話焼きキチガイ以外にも何人か存在していて、それぞれアニメを作る才能があったり脚本を一生懸命つくっていたり超天才プログラマーがいたりする。で、空太くんもゲームの企画書を練り始める。創作者集団なのだ。彼らはラブコメをしながらそうした創作時の苦労、快感、あるいは才能と接した時の凡人の苦しさなどをテーマに書いていく。こうした点は丁寧で、おもしろい。まあその辺に関してはまた読み終えてからで。今のところ終りが見えない作品である。