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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

物語で理不尽な展開はやりにくいのか

さくら荘のペットな彼女6巻まで読んだ。これはなかなかおもしろいですね。盛り上げていくのもうまいし。アニメ化になるのもわかるな。最近読んでいるのはアニメ化された作品ばっかりなんですけど、どれもやっぱりとんでもなくうまいし、よく構築、洗練されていると思う。ラノベ戦国時代ですね。で、まだ7巻を読んでないから総評は置いとくけど途中のメモ的に「物語で理不尽な展開はやりにくいのか」について書く。

というのも6巻はまさにそういう話だ。そういう話ではわからないだろうので説明しよう。さくら荘のペットな彼女は日常的なことがまったくできないけど超可愛くて絵が国宝クラスにうまいというひでえ設定の女の子を主人公が世話してあげてついでにラブコメしようという作品なのだがもうひとつの方向性として「才能のある人間と、凡人」という堆肥がある。

異常な天才は異常な努力を何の疑問も持たずにでき、それ以上にもってうまれた才能を持っている。そしてそれ故にまわりの人間に「追いつけない」「無理だ」という思いを抱かせる。それ自体は正直いってどうでもいいのだが本作がおもしろいのはそういう「クリエイター道」を割合しっかりと書いているところだろう。主人公はゲームの企画屋を目指し(夢見すぎだろ)企画をいっぱい送り込むのだが次々と落とされてしまう。

しかし──さくら荘で一緒に過ごした二人の先輩(この二人もまたクリエイターであり、片方は才能を持っていて片方はそれほど無い)が卒業を間際に控えたタイミングで、企画がゲーム会社に通ることになる。その為の作りこみを行い、企画が通って実際に開発が始まるという成功が目の前にある状況だ。同時にさくら荘で声優を目指す女の子も「事務所に所属できるか否か」のオーディションに望んで、同じ時期に結果を待っている。

これをただ落とすのは簡単だ。リアリティといってもいいだろう。そうそう容易く物事がうまくいくはずがないんだから、それは確かに現実的ではある。しかし物語でそれを無策でやってしまうと、これはつまらない。事実は小説より奇なりという迷言があるが、それがなぜかといえば「現実ならありえる突飛な出来事を小説でそのまま書いたらリアリティがないといって批判される」から書けないのだ。

物語だからといって何もかも書けるわけではない。たとえば突然何の前触れもなくこの作品で主人公が車に引かれて作品が終わってしまってはいけないのだ。もしそれが現実だったらそれは受け入れられてしまうだろう。というか受け入れるよりほかない。だって現実なんだから。でもだからこそ物語では仕掛けを必要とするのである。

ライトノベルという高校生、中学生へ向けたジャンル(であろうと仮定して)では無残に「無理でしたー現実は非情であるwwww」という展開は実際難しいだろうと思う。それでこのさくら荘のペットな彼女では同時に「さくら荘存続の危機」という、こういう合宿物? なんかよくわからんけど寮ものでは大概ある便利な展開を迎えさせて、一方をどん底に突き落としながらこれを解決することでクッションとしているのである。

読んでいるとうまいなあと思ってしまう。キャラクターはみんな嫌いなんだけどなあ。