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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ヘビーオブジェクト読書中メモ

そうそう、鎌池和馬さんはこんな作家だった。と5巻ぐらいで放り投げたとある魔術の〜を思い返しながら読んでいた。此の人の作品ってチョー大雑把なんだよね。たとえばこのヘビーオブジェクトだと、超大型兵器オブジェクトが戦争を変えてしまった世界なのだが……。このオブジェクトが戦争をかえたというから「まあよくあるロボット物なのかな」と思いきや設定が豪快で「オブジェクトがすごすぎて強すぎて他の人達はもう何もやることがない」状況だというんだからすごい。

いや、あのね、戦争ってさ、いろいろ目的があってさ、ちょーすごーいロボットが一体あったからって何が変わるもんでも……と言いたくなるが「そういうものだ」で押し切ってしまうんだからすごい。設定もすごくて何百万トンもあるやつが核エネルギーより効率がよくてしかもクリーンなエネルギーで浮いてる。すげえ、なんだそのエネルギー。オブジェクトは核が何発あたっても壊れない。すげえなんだそのロボット。そりゃ戦争はオブジェクトだけになるよなあ。

別に馬鹿にしているわけではない。たとえばハーレム系のライトノベルだって「いや、常識的に考えて5人のヒロインが主人公に惚れるわけ無いだろ……」という問題はかっこに入れているからこそ、あの夢物語が楽しめるのだ。だからこのヘビーオブジェクトの唖然としてしまうような設定も「超兵器が戦う世界」という中二病精神を満足させる為に必要なのだ。しかももっといえば(まだ1巻の半分ぐらいしか読んでないんだけど)本作はワンダと巨像っつーか、「そういう人類では倒せるはずのないものを人間が倒す」ことを物語的な快感にしている。GIANT KILLINGロボットバージョンである。

世界中でだれもが「オブジェクトを倒せるのはオブジェクトだけだし、戦争はもうオブジェクト以外必要ない」と思っているところで、「ただの人間が知恵をふりしぼってオブジェクトを倒す」というGIANT KILLINGが発生することによって、快感が発生するのである。このおもしろさに為にあり得ない設定を「そういうものだからだ」で押し切る。鎌池和馬さんのとある〜もたしかそんな感じだったでしょ? おもしろそうな燃える展開をつくり上げるためには設定を細かく詰めないのも重要なのだ。

でも問題は僕はこういう作品を読んでいるとつらいんだよなあ。ハーレム物だったらたやすく「そういうものだ」って受け入れられるんだけど、とあるとかこのヘビーオブジェクトみたいな「そういうものだ」はなんか受け入れられないんだよねえ。「そういうものだじゃねーよ」って思っちゃうわけでさ。で、理由があるのかなあって思ってたんだけど、結局「そういうものだ」を受け入れた後にくるご褒美がその対価として見合っているかどうかなのかなあ。

ようするに好みかどうかって話なんだけど。どうかなあいまんところ受け入れがたいけど読んでいけば慣れるものなのかもしれない。あるいはハーレム物はありふれているからこそすでにジャンルとして確立されていて、だからこそ受け入れやすいというのもあるか。巨大ロボット物はむかしから先人たちが「いかにして現世に必然的にロボットを定着させるか」という試みを続けてきた分野であって、だからこそその設定を棚上げにされると強烈な違和感を感じるのかもしれない。