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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

さくら荘のペットな彼女(8巻時点の感想)

ああ、いい話だ。とてもいい話だ。最近アニメ化されたラブコメ作品ばかり読んでいたのだが(僕が使っているブックウォーカーの電子書籍アプリにそういうのしかトップに出てないのだ)、これはその中でもいちばんいい出来だった。ちゃんと物語が予定され、その結果構成され、盛り上がりが設計されている。いわゆるハーレム物といえば読者にはあまりストレスがかからないようになっているものだが、この作品はきちんとダブルヒロインのうち「どちらを選択するのか」という悩みまで踏み込んでいて、新鮮だった(本来それが新鮮というのもおかしな話だが。)

さくら荘のペットな彼女はライトノベル作品。高校生の恋愛と、クリエイティブな活動を行う人たちの挫折とか、才能がテーマ、なのかな。さくら荘という問題児が集まるコミュニティをメインに書くのだが主軸は「今まで絵しか描いて来なかった為に自分のことが何にもできない女の子の世話を焼いてあげる」だからこそさくら荘のペットな彼女、というわけだ。ライトノベルにありがちな、続きが出せそうだから初期構想にない要素をどんどん継ぎ足して話を明らかに伸ばしてるよねこれ!? みたいなこともなく、淡々と物語は進行していく。

さくら荘のペットな彼女の「何も出来ない女の子を世話してあげる欲求を肯定すると、そのまま何もできない子でいてほしいと思い始める」問題については前前回書いた。また本気の創作活動を書く時に、誠実であろうとするならば避けては通れない「理不尽」を書くやり方については、前回書いた。創作活動というのは、高校生や大学生が誰にも迷惑をかけずにやっているようなレベルだったら幸せな自意識の中の問題で済むが、ことここに将来の夢は作家ですとか、ビジネスの問題に踏み込むと幻想は打ち砕かれる。

本書ではビジネスの問題にまで立ち入っている。「天才的な能力を持っていてガシガシ作品を世間に発表している人たち」と「凡庸でがんばってはいるけれどなかなか芽が出ない人たち」の大雑把にわけて2種類の人間がさくら荘にはいて、この対比がおもしろい。この2種類の人間の間、どこに違いがあるのかといえば、それは一言で言ってしまえば執念だろう。かたや寝る間も惜しみ、自分の持てる時間のすべてを特定分野に注ぎ込んできた人間であり、片方はそこまでではないのだ。

それは凡庸な側の人間からすれば、ショックだろう。寝る間も惜しんでというが、そこまでの情熱を傾けてやる人間をみていると、嫌でも自分と対比してしまう。またたとえば「全く同じように努力しても、かたほうは芽が出て片方は出ない」ということがあり得る。たとえば将棋の世界では、多くが幼少時から一日中将棋のことを考えて過ごすた上で入ってくるのだが、棋士になれないで去っていく人間も多い。音楽だって本気で演奏家になろうと思ったら、3歳の頃から競争が始まるという。

それでもダメな時はダメなのだ。主人公がやりたがるのはゲームの企画屋であり、圧倒的狭き門だがゲームは特にビジネスの側面が強い。開発費は葛藤し、それだけのリターンが得られる企画でないと通らない。仮に企画が通りそうになっても、似たような企画がたまたま持ち上がっていたら通らないなどの理不尽な却下もありえる。物を創るというのは、職業にしようとおもったら当然ながら現代では「お客様」相手に仕事をすることであって、そこまで自由で楽しいだけのものではないのだろう。

まあようするに、真面目に、真剣に、創作活動を仕事にしようとおもったら、いろいろ考えて、覚悟を決めなければいけない。そして何より、覚悟を決めた後は継続しないといけない。覚悟とは毎日階段を一歩一歩のぼっていくことにほかならない。言葉だけで「覚悟した」といっても無意味なのだ。

で、まあこのシリーズはそれだけじゃなくラブコメだからそっちのことも書きたいんだけど、甘々である。甘々。ラブラブ。でも最初に書いたように、「どちらかに、ちゃんと決める」ことのつらさと責任を書いたのが8巻だった。僕はこの展開に大いに満足した。悩み、悔み、迷いながら決定する。そして結果を引き受ける。かなり当たり前のことなんだけど、これを当たり前に書いてくれるのが嬉しかった。恋の葛藤とかを全部言葉で説明しちゃったのは非常にアレだったけど。