基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ラノベについて語る人の意見がばらばらだ

ニンジャスレイヤーを腰を据えて読み通そうとしたけど家の中から見つからない。な、なぜだ。仕方がないから思いつきを書く。僕は読書系のニュースサイト(このブログのヒット数は1日10ぐらいだが、このニュースサイトも似たようなものだ)をやっている関係でラノベに言及される記事なども読むのだが、なんというかラノベについて語られる言質、いわゆるラノベ論はどれもあやふやで何が言いたいのかさっぱりわからないものが多い。ラノベがなんなのかといった定義問題があやふやなせいもあるだろうがそれ以上の問題として変化が早く数年単位で様変わりしてしまう「ラノベというジャンルを扱いきれていない」のではないかと思う。

10年前には姿形もなかったハーレム物(調べてないから実際には知らないけど)のようなのが出てきているんだからそれも当たり前のような気がする。まったくラノベを読んだことがない人間と、スレイヤーズロードス島をむさぼるように読んできた人間や、さいきんの「おんなのこがいっぱいいっぱい」な傾向が増えてきた当たりからの人間とがみんな同じライトノベルという言葉をつかって個人の主観的感想を言っているのでそりゃあ話は噛み合わないしお互いがお互いに何を言っているのかわからないということになってしまう。「僕はライトノベルが好きです」という時その言葉には多くのものが含まれすぎていてどうにもうまく話が通じないのである。

でもそんなのは当たり前でたとえば僕は別にライトノベルだけ読むわけじゃないのでいわゆる「本好き」な人間として周囲では扱われている。だから本好きな人と友だちになりたいでしょと言われるけれどまったくそんなことはない。本好きですという人間二人が出会って、意気投合してなんてことにはならない。なぜなら読んでいるジャンルが大抵は合わないからであり、片方が好きな作家が片方はまるですきじゃないということがほとんどで、そもそも話が通じないからだ。

「本好き」とくくられる人間の間には「野球好き」「サッカー好き」が持っているコミュニティとはずいぶん遠いものがある。でもそれであたりまえなのだ。なぜなら本は平均的なコンテンツが存在しているわけではないからだ。それぞれの本が個性を持っている。あるものは恐竜が出てきて、あるものは幽霊が出る。あるものはヨーロッパが舞台になった本格ファンタジーで、あるものは戦争を書く。あるものは政治家を緻密に描写し、あるものは女の子が5人ぐらい1人の男の子に惚れる。

だから──と書くと何か言いたいことがあって書き始めた感じになるんだけど別に言いたいことはない。ただラノベについて語る人の意見がばらばらなのはなぜだろうと思っただけだった。そしてなんか話が盛大にズレているような気がする。少なくともラノベについて語る人の意見がばらばらなのは変化が早くなってしまった結果、参入時期によるそれぞれの「これが自分にとってのラノベである」というラノベ観の差異が問題なのだろうという話だった。そしてその全く異なるラノベ観を「ライトノベル」という一単語で表してしまっているから、どうにもよくわからないことになっているのではないかと。

まあとにかく、その歴史はある意味では書物の歴史といってもいいのではなかろうか、ということなのかな。いわゆるライトノベル好きよりも、もっと広い範囲の本好きと呼ばれる人たちはその辺もう少しうまくやってきたよ、ライトノベル好きの人たちもそういうところをうまく真似していかないとね、ってことが言いたかったのかもしれない。ほんとうかよ、と自分で書いていて思ってしまうが。とにかくライトノベルというのは断絶が激しい、そしてそれは悲しいことであるというのが僕の意見だ。

ライトノベルを読まない読書家の人たちは「あんな、絵のついた本……」といって敬遠するし一方でライトノベルを詠む人たちの間でも「あんなのはライトノベルじゃない」あるいは「ライトノベルの良さは失われてしまった」ということがある。現状のライトノベルガラパゴス島のような特殊な進化を遂げているのは確かだ。内部でさえ断絶がある。しかしそこで生まれるのは特殊な文脈であり、技術であり、ようするに断絶しているからといって「理解できない」で終わりにしてしまうのはもったいない。

支離滅裂になってしまったがそんな状況をなんとかしていきたいものである、と僕は思っている。