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神様のメモ帳(4巻まで)の感想:天才の書き方について

4巻がいちばんおもしろかったなあ。こうやって着々と面白さを増していけるってのは、作家としての地力を感じさせる。力をセーブするという計算がないとできないからかな。それにしても女たらしキャラとか、高校を中退したギャンブルマニアとか、軍オタとかヤクザとかといった立場の人間をちゃんと書き分けられるってのは凄いものだなと思う。中でもヒロインであり探偵役であるアリスを読みながら「天才」と呼ばれている人達はけっこう精神病として病気を付けられてしまう人達も多いのではないかと考えていた。

あの手塚治虫も伝記を読むと「常に他の漫画家にライバル心をもやしていた」という描写は必ずといっていいほど出てくるが、それが「自分が受け入れられなくなってしまうかもしれない。読まれなくなってしまうかもしれない」という恐怖心に根ざしていたことが自伝には書かれている。読まれなくなるのが怖くて怖くて、その恐怖心をばねにあれだけの多ジャンル、そして作品数を生み出し、自分以外の漫画家のやり方を積極的に取り入れていたのだろう。

精神病患者の中にはこの広すぎる宇宙の中に存在するちっぽけな物質としての自分とか、無限の時間軸上のほんのわずかな部分に存在しているに過ぎない自分を強く意識しすぎて死ぬほどの恐怖を覚える人がいるらしい。それはある意味では正しい認識であって正常な認識ではあるのかもしれないが、しかしそんな認識の仕方をしていたらとてもじゃないが生きていくことができない。「正常な」人間とされている普通に生活して満員電車に乗って会社にいくことが出来る人間は「鈍すぎる」「異常な」人間ということもできる。

ただまあだからこそ生きていけるわけだけど。神様のメモ帳の探偵役・アリスは世界中のすべての災厄、問題、被害がまるで自分のせいであるかのように感じてしまう、らしい。荒唐無稽な話ではあるものの、世の中には自分の物質的な小ささを実感してしまったり、時間軸の無限さを実感して発狂するような人間がいるんだから僕はなんだか納得してしまうんだよね。そしてそうした「外れた」恐怖心に突き動かされ続けることから、社会的に役に立つ、認知されやすいことを結果的にやることになった人間だけが、「天才」などと呼ばれるのかもしれないな。

もちろんすべての天才がそうだといいたいわけではない。そもそも天才などという一単語にそこまで明確な定義などできない。1タイプとして、そういう書き方があるのかもしれないと思った話。