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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

重い決断する物語が好きなのだ

僕は決断をする物語が好きだ。

世の中には割り切れることもあれば割り切れないことも多い。AとBがあって、場合によってはCもDもあって、そのどれを選んでいいのかさっぱりわからない、どれを選ぶのが正解なのかさっぱりわからないという状況が、往々にしてある。そうした時の決断というのは常に気が重いものだ。失敗するかもしれないし成功するかもしれないし。あまり大きなことをいうとあれだけど、人生でもそういう「どうしたらいいのか皆目検討もつかない決断を迫られるとき」というのは起こりえるだろう。

たぶん正解はないのだと思う。何度も人生をやり直せるわけでもないのだから。だからこそ僕は物語の中で人間たちが苦渋という他無い決断を下すのを見ていくのがすきなんだと思う。北村薫は『小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います』という言葉を書いたそうだけれども(小説なのかエッセイなのかは知らない)、僕が決断を下す物語展開が好きなのはそうしたところからきているのかもしれない。

All Crearというコニー・ウィリスの小説を読んでいたら、SFでしか書けない決断が書かれていて、読んでいる手が震えた。『膚の下』で主人公である慧慈が、その世界の何百年何千年先の未来を激変させる決断を下した時の興奮は未だに思い出すたびに涙が止まらない。その時慧慈は、「お前がやっていることの影響をわかっているのか」と問われて、「それでも、わたしは、やったのだ」と答えるのだ。獣の奏者でエリンが最後にくだす覚悟とその達成はいまでも映像として鮮明に思い出せる。SFとかファンタジーばかりだけど、このへんは容易く「世界への責任」が射程に入ってくるから個人的に好みである。

そこにいくと恋愛物というのは最終的には何らかの決断を下さなければいけない形式で、優れた三角関係物は見ている人間に「どっちに転んでもおかしくはない」とどこまで信じさせられるかの勝負である。決断に重さを載せるためには、その決断が誰にとってもわからないもの、痛みを伴うものでなければならない。そしてそうした物語は、人にまったく別の人生を想起させるのである。