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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ううむ

書評家というのは難しいなあと思う。僕は書評ブロガーですら名乗るのがおこがましいと思うので自分のブログのことを書評ブログであるといったことは一度もないのだが、ここで言っているような書評家とは、まあ松岡正剛殿とか小飼弾殿とか、それで生計を立てている人間のようなことである。なにが難しいかというと、書評家なんてもんはしょせん専門家じゃないわけなので、たとえば経済についてのような専門書をレビューすると、否が応にも無知を晒している(ことが多い)のである。あの何やら凄そうな松岡正剛殿ですら、経済方面の書評には馬鹿馬鹿しい内容のものがある。たんなる内容の要約のようなものでさえ事実誤認が多発していたりする。

書評家以外にも世の中には「いろんな物事を語る人」というのがいるが(有名ドコロで言えば内田樹さんとか、茂木健一郎さんとか)かれらも自分の専門外のことではアホみたいなことを垂れ流している。その方法はすべての分野を自分の得意分野で一刀両断するアホみたいなものから、適当な表層的な論理だけそれっぽく取り繕うのが異常にうまかったりと様々だが、自発的にそれらの仕事を受けているのが罪深い。

書評家はその点、「本」を相手にする以上、自分の専門外のところにガスガス踏み込んで行かなければいけないので自分からずかずか踏み込んでいるのとはちょっと違うのかもしれない。踏み込んでいけば馬鹿を晒すし、防御に走ると文章は面白くない。かわいそうな人達だなあと思う。しかし仮にもそれを仕事にしているんだったらその程度はちゃんとやれよとも思いもする。世の中の書評家が言っていることを「本の内容の抜粋、優れた要約や洞察である」などと無条件で信じるような勘違いをしないように読者側が気をつければいいだけの話なのだが。

気をつけるべし。書評家はしょせん素人である。まあ例外はフィクションだが、これも気を抜くとすぐにアホみたいな誤読が起こりえるのでたいていの書評家はたいへんだね。でも世の中にはちゃんとした書評家もいるからね。書評で仮にも金をとろうとおもったら、該当本の類書にはいくつか手を出して、翻訳であれば原書の評判をあさって、なおかつ「書評本文に書くことは元の本にあたって誤りがないことを入念にチェックする」などなどは「最低限」必要なレベルだと思う。

まあほんとはほんとに単純な事実誤認のチェックなんかはそれぞれ第三者がやるのがいいんだろうけれど、現実問題そこまではできないのだろう。そしてそんなことを書いていると自分のあまりのレベルの低さに震えがくるのであった。仮に10段階評価だと、僕は2か3だと思います。はあ悲しい。