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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

やればやるほどおもしろくなっていく

笑われるような話なのだけど、これでも僕はブログを7年近く書いてきて、やっぱり書けば書くほど能力ってのは上がっていっていくような感覚があるんですよね。言葉の使い方もそうだけど、適当に流して書いた時でもなんかそれっぽくなっている。ようは千回、二千回と1500〜300文字ぐらいの文章を書き続けていくってのは、それを「よく練っている」とか「何かを意識してやっている」わけでなくても、やはりそれなりに何かを蓄積しているんだなと。もちろん僕の書くようなものは本当にどうしようもなくて、ほとんど誰にも注目されないようなものなんだけど(7年も書き続けて未だにたいして面白く無い記事しか書けないんだから、才能なんて欠片もないのだ)、それでも蓄積ってあるものなんだよなあ。

もう一つのブログの『基本読書』は、日記帳として書いてるんですよね。むかし紙の日記を書き連ねていた時もあったんだけど、結局誰にも合わないし、一人で本を読んでいるだけだから本のことしか書くことがない。で、紙の日記に書くのもブログに書いているようなものだけで、その延長線上で書いているわけで。それでも目指しているところってのはあって、批評的なとか作品をよく理解したとかいうよりも、読んだときの興奮とか、自分の中で何かが作り替えられていくような感覚、結局何かを読むってのは「読む前とは別の人間になる」ってことだから、僕はその過程をなんとかして言葉にしたいと思うわけだ。

もちろん同じ本を読んでもらえば一番いいのだが、それでも同じ感覚を共有できるわけじゃない。往々にして全く違うことを感じたりする。でもだからこそそれを読んだ時の、あの変わっていく感覚をなんとかして伝えられたらなとおもうわけで、そういうのはもともと言語的ななにかではないから表現は難しい。ずっと僕はそれをなんとかして表現して、「僕はこんなに変わったんだ!!」ってのを人に伝えられないかと四苦八苦してきた。でもそれって「完璧な表現」なんてないわけだからずっと四苦八苦しているわけであって、「完璧だ!!」ってのはこないわけですよ。

でも書けば書くほどだんだんうまくなっているような気がして、錯覚かもしれないけど。で、だんだんうまくなってくるとよーしもっとうまく表現できるかもしれない、もっとうまく伝えられるかもしれない、とおもってどんどん楽しくなっていくんですよね。「読む」方もまだまだ終わりがない。英語力だってどんどん読めるようになっていって、でもやればやるほど面白くなってる。終わりがないからやればやるほどおもしろくなっていくんだ。きっとそういうことがあるのって、いろいろ幸せなことなんだと思うんだよね。

たとえ才能がなくても積み重なっていくものはあるはずだというお話。