基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ダマされないための方法

Twitterなどをみていると、騙されている人がいる。あるいはころっと簡単に騙されてしまいそうな人がいる。たとえば僕がある記事で「いま社会では子どもの科学を読む大人が増えている傾向がある」と書いたとしよう。そうした記事にたいして「へ〜そんな傾向があるのか。知らなかった」という人がいる。これは例だからそんなことはいっていないし、そんなことを言った人もいないのだが、そういう人たちはたくさん見られる。そしてそうした反応はすべて騙されているか、騙されている可能性がある。

僕はたいていてきとーなことを書いているのでそれをそのまま鵜呑みにされると恐ろしくなってしまう。間違った認識をひとに植えつけたかも知れず、その人はまただれか別の人にそれを伝えるかもしれない。この場合正しい認識の仕方は「あるブログに一人子どもの科学を読む大人が増えている傾向があると言っている人がいる」だけで、それ以上のことをそこから読み取ろうとすると必ず何らかの間違いを含んでしまう。

しかしもちろん僕も騙される。騙すとは何かはひとまずおいといて、私は真実しか信じませんというのはなかなか難しいからみんな騙されていて、どの程度騙されているのかにもよるだろう。

ダマされないための方法としては何一つ信じないところから始めるのがいいと思う。いったんそこに書いてあることはすべて嘘だとする。嘘だと入ってもそれを言っている人はいるので「それを言っている人が1人いる」と現状認識に留める。そこには様々な理由がある。単に馬鹿であるから適当なことを言っている。それを言えと言わされている。あるいは勘違いしている。その人自身も騙されている。あるいはたしかに厳密にみていくとそうした言葉が正しい。

ただその時点では、わからないのでおいておく。そしていったん全部嘘だとして、本当っぽいところがあるかどうかを考えていく。ただしたいていのネットにあるような言質は「いま社会では子どもの科学を読む大人が増えている傾向がある」というようなほとんど誰にとっても無意味な主観的情報でしか無いから、そんなものに本当っぽいところはほとんどない。大抵はそれを補強する情報があるものなので、それが科学的な反復の検証に耐えられるものだったら、もう少し本当らしいと考えを進めていく。

こうして考えていくと難しいのは「ダマされないための方法」ではなく、「正しい情報を判定する方法」であることがわかってくる。ダマされないためには、人がいうことを全部間違っている、嘘であるとすればいいだけだ。でもその中から本当っぽい情報を抜き出していくのが重要なわけだ。そうしないと日常生活が送れないから。そしてその正しい情報を抜き出していくテクニックは実際問題いっぱいあってすぐに書ききれるものでもない。

まずその人がどういう人かによる。ネットは匿名が基本で発言だけで評価されるなどというけれど、実際のところは人によって正しい情報を判断してしまったほうが楽だ。ある経済学者がケインズを引き合いに出して「ケインズはこういっていた〜〜」といっても、それを本当にケインズがいっていたのかわからないし、何かを間違って引用しているのかもしれないし、そいつがケインズだと思っていたのは実はマルクスだったのかもしれないし、そもそも解釈が全然違ったりするかもしれない。

そこでよしケインズにあたろうといってもなかなか難しいだろう。無限に時間があるわけではないのだから。だから殆どの場合情報は人によって判断される。こいつは経済学者で経験もあつく間違えた時の痛みがこいつにとっては痛いからそうそう突飛なこと、間違った解釈はいわないだろう、あるいは過去も誠実な言動を続けてきた人だから今回も大丈夫だろう、そういう人へと集まっていく情報や責任的なところから判断するのだろう。

他にも科学的な検証方法とか、まあ社会学的な検証方法とか、経済学的な検証方法とか、学問の検証方法になっていくんだろうな。まあそんなふうにして「ぜんぶ嘘だとして」「正しいっぽそうなところだけを選別して情報として得る」のが個人的にはいいと思っているし、そのように実行している。