基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

日記とか物語受容におけるハードルの話とか

はー疲れ果てた。更新もできないぐらい疲れ果てた。ゴールデンウィークなのでゆっくりお休みをしようと思いますが、そもそも何をやっていたのかといえば200人規模のそこそこ大きいイベントの幹事をやらされ照明をつけたりけしたり、会場側と連絡をつけ、カーテンの上げ下げ、音楽のオンオフを繰り返し大変つかれました。そもそも幹事作業というのがひどく向いていないことなのであります。

ちょっと前に「気をつけろ、書評家はただの素人である」というようなことを書きましたけれども、ようは「人間何にでも詳しくなることはできない」っていうそれだけの話なんですよね。アインシュタインは心理学の話なんかあんまり知らないだろうし、荒木飛呂彦は物理学のことなんかなんにも知らないでしょう(意外と熟知しているのかもしれないが)。であればこそ基本的には自分の強みをいかすというよりかは、できないところは無理にやろうとしないで人におまかせしちゃったり、苦手なところはなにも自分でやる必要がない状況に持っていけるのが本当は一番いいんだろうなあと思うのです。

そうはいってもそうやって自分ができる、得意だと思い込んでいることだけをやるのもジリ貧へ向かうところなので難しいところですが。幹事業や人と喋るといったことも、最初はクソみたいな手順しか踏めなかったにも関わらず何度もこなすうちに最適化されてきましたのであります。でも「できる」とはいっても、それに関わってくるストレスみたいなのが半端無いわけで、できるかぎりストレスは軽減する方向で行きたい……。

あと物語受容におけるハードルのことを考えたりしていました。仕事中にだいたいだらだら喋りながらやっているんですけど、その中で「小説で泣くなんて信じられない、だってただの文字でしょう? アニメだったら泣けるけど。」と言われて、やはり文字で書かれたものを状況にまで展開するのはそれなりの能力というか、想像力が必要なのだろうと思い直した次第です。

うちの母なんかも実写映画でもSFになるともうだめで、アニメなんかまるで見ません。理由は現実じゃないからで、ドラマだって現実じゃねーよと言いたくもなりますけど、言いたいこともよくわかる。ようは実写のSFはそれを受容するには「そういう世界観がある」といったんかっこにくくって、想像力を一段階飛躍させないといけないわけですね。

そしてアニメになると人間の描写は記号的なものに還元されるわけであって、現実の人間とは似つかないけどこれは人間なのであるともう一段階の飛躍が必要になるのだと思います。実話物語⇒実写⇒超常現象つきの実写⇒アニメ⇒漫画⇒小説 みたいな感じでざっくりいっちゃうとハードルがあがっていくのではないか。くだっていくにつれてより単純化されていく記号から想像を膨らませねばなりません。

小説がそれしか娯楽がなかったころはともかく、現代においてまったくマイナーな趣味であるのはそうした敷居の高さが関係しているのはいうまでもないと思われるのです。もちろん漫画は読むけどアニメはわからんという人もいて、別に絶対左から右へと難易度があがっていくわけではないのですが。ようは想像力が未定義なので、想像力の飛躍といっても何を言っているのか誰にもわからないわけです。想像力の飛躍っていうか、やっぱりかっこに入れる能力ってことになるのかな。

漫画の実写化とかラノベの実写化ははたいていゴミのような作品になってしまうわけですけど、実写しか見ない人間を取り込むにはそれしかないんですよね。当たり前ですけど。まあみせても冒頭のように「アニメなら感動するけど文字じゃあ感動なんてしないよ」となってしまうことも多いんでしょうが。僕なんかは文字だけの方があたまのなかでかなり自由度高くカメラカットを用意できるので、むしろアニメで感動するほうが難しかったりするんですが。

昨日発売のThe Economistは若者層の仕事が世界的にないんだけどどうすればええねんといった話で、日本ではまだそれほど実感がわかないんだけどアメリカなんかの数字をみるとヤバイ。それにヤバイのは数字だけじゃなくて、本当にヤバイのは「景気が回復したら失業率も回復するはずだ」とみんなが思ってたのに、けっきょく景気が回復しつつあるのにも関わらず失業率に改善がみられなかったこと。ようは景気とは別の「仕事が無い」要因が存在しているわけである。

『機械との競争』はそれは「早すぎるシステム化の進化によって、仕事の調整が行われる前に仕事がなくなっているからだ」という。馬車がなくなっても車が出て、御者がいなくなってもタクシーができたように仕事は別の形態にいつもかわっていくものだが、システム化の速度がはやすぎてその形態変化が追いついていないのだという。至極まっとうな理屈のように思える。

Economistでは対策としては二つあると言っていて、まあ至極まっとうなものだ。労働市場を整理する、若者の教育を改善する。労働市場の整理とは法の規制、税をゆるめるとか、そもそもの職業支援、保険でなんとかする、企業と学校の提携を進めてより実質的に仕事で役に立つ技術を学生時代からすりこむ、そうした地道な改善策が必要とされるところ。そうはいっても学問の意義ってなんだっけ、大学って職業訓練校でしたっけって話になると悲しくなってくるね。

ここ数年若年層の失業者数はかなり悪くなっている。しかしいくつかの理由から希望はある。政府は教育と労働市場のミスマッチを把握しようと頑張っていて、企業側は若年層への投資にもっと責任をとって取り組み始めている。テクノロジーへの教育とトレーニングはわかりやすい形で仕事につながっていく。というわけでがんばっていきましょうかーってなところが最終的な結論。日本の労働環境はよかないが、仕事がなくて過酷な競争にさらされんのも嫌だなあと思う次第。しきりと仕事や環境のグローバル化だ、これではいかんといった話もあるけれど、細かい微調整がね、必要だと思う昨今であります。

そういえばSelf-Reference ENGINEの英訳版が出ていたので感想を漁っていたんだけど、好意的なものがいくつかあった。なるほど。円城塔せんせーはたしかどこかで、僕の書いているものは日本だとへんてこだといわれるけど海外だと割と普通に受け入れられるんじゃないかといったニュアンスのことを言っていたような気がするけど、レヴューを読む限りではへんてこなものとして受け取られているように見える。あと後藤さんのこと という日本語名の本を紹介するのにタイトルが About GoToになってて笑ってしまった。