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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

にっき:俺の妹が〜について

にっき。とはいっても仕事していただけだが。電車に人がいないわ取引先がいないわで快適な一日。

なんとなくこの前ご飯を食べながらみていた俺の妹が〜のアニメが予想外に面白かったので原作も再度よみはじめてみる。一巻は最悪の評価で、二巻も同じような評価で、もう読むことはあるまいと思っていたが……。三巻と四巻はなかなか面白かった。そうはいっても虚無的な話であることには違いないのだが……。とにかく一巻の頃のプロットがそのまま本になりました感がなくなって良い。

主人公はヲタ趣味の妹に巻き込まれ、その世界を段々と知っていくが──という話なのはいまさら言うまでもないことだろうが、視点主である主人公の空虚さがひどい。他人の趣味にとやかく言う割には、この男には何も打ち込むものがないわけであって、高校生になっても日がな一日学校が終われば妹の手助けや妹の友人たちばっかりと遊んでいて、こいつの人生これでいいのだろうかと悲しく読んでいる。

またオタク文化にまったく触れたことがない、ほとんどパソコンも触らないという設定だがこのご時世にそんな人間はかなり珍しい存在になってしまっているなと思った。いや、ぼくも現在中学生や高校生なわけではないのでわからんのだけど、いとこの周縁をみていると多かれ少なかれみんなニコニコ動画をみてるし、ミクとかの音楽を聞いているようにみえる。

あと話の最後に突如として出てくる説教じみた主人公の泥臭さが目を逸らしたくなる。土下座してみせたり、感情をガーッと吐露したりして、理屈っぽく相手を制圧するのではなく情に訴えかける感じ。基本この手は現実ではありえないというか、それで失敗したら後がない上にその事実をさらけだしているわけなので愚策だと思うが、フィクションでもうまくやれば良い感じになるのだろうか。

なんというか、そういう最後の押し切りは、何がつらいってそうした「情に訴えかけるぐらいしかできない」ことが主人公の無力さ、空っぽさを伝えているんだよね。最初の話と繋げるけど。特殊能力もなければ、特別な能力もないし、別段努力家というわけでもないし、彼はただただ物語の中では何か問題があればそこに自動で向かっていってなんとかするまで頑張り続けるようにプログラムされたような存在で、悲哀しかないのだよ。

僕がこの作品からずっと感じているのはその行動原理をプログラムされたような登場人物たちの、薄っぺらさなんだよなあ。主人公に限らず……。主人公が無力な上に、主体性がないクソ野郎だから話がいつまでたってもすっきりしないわけで。読んでいる間はおもしろかったな〜〜とほんわかしてたけどこうして思い返していたらダメな作品のような気もしてきた。

ここまで書いていて思ったのだが、障害自動追跡プログラムとしての主人公と考えると上条当麻系列の主人公なのかもしれないな。主体性がなくひたすら状況に押し流されていくだけの役。これはこれで物語を動かすにあたっては便利な存在なのかもしれない。

全く別の話。数年前日本マクドナルドの社長が凄腕経営者として若い子どもたちの悩みや相談にびしばしと答えている番組をみたことがあるのだが、いまはきっとそんな番組には彼は呼ばれないだろうなと考えていた。経営者なんてもんは悲しい存在だよなあ。一時調子がよいようにみえても、ずっとそれでいけるわけでもない。凄腕経営者と持ち上げられたかと思えば、今ではすっかり狂った人扱いで、恐ろしい話。

世の中にはまぐれというものがある。それも、頻繁にある。たとえば世界に何万人も投資家がいれば、そのうちの数%はなにひとつテクニックを知らなくても勝ち続ける確率がある。だからそうした「実は運だけで勝ち続けている」投資家のいうことをほいほい聞いていると死ぬハメになる。経営だっておなじようなもので、あのジョブズでさえ「運がよかっただけだ」という研究を出している人間がいる。経営者の実力といったものはそうそう客観的にはかれるものでもないのだろう。失敗しているにしても、成功しているにしても。教訓は「経営者のいうことを真に受けるな」