読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

書き続けていると

仕事中ずっと暇だったのでネットサーフィンをしていたのだが(聞く人が聞いたら殺されかねない発言だな)1999年〜2002年ぐらいまでのオフ会や講演会のレポみたいなのをものすごい長文であげているホームページがあって、数時間読みふけっていた。

極端に楽しいポイントがあるわけでもないようなきがするのだが、妙に面白くてずるずると読み続けて、ふと思うのが2002年以後は更新されていない。「もう就職したんでやめます」みたいな記述があるわけでもなく、いきなり途切れている。まあ、そんな日記やらホームページやらブログやらはこのネット上にいくらでもあるだろうから、別段珍しいことでもない。人は死ぬしね。しかし書いた後10年以上あとの人間が読んでおもしろいなあおもしろいなあ、あの人どうなったんだろうなあと思うという状況がしみじみとした気分になる(しみじみとした気分って、まったくいみがわからない言葉だよね)

そんなものは作家であれば100年も200年も2000年も時を超えて文章が届くわけだが、そんなその辺の日記みたいな、しかもまるで知らない人の雑記みたいなのが残っているのがすごいなあという感覚。

僕もブログをまがりなりにも7年も書き続けてきたので書くことにたいして思うこともある。7年前に書いた文章に「死ね!!」と書かれたり(そんな昔の文章に怒られても何も思わないが)、5年前に書いたものにたいして「すごいです! ありがとうございます!」と書かれたり(5年も前の文章にありがとうと言われても何も思わないが)2年前に書いたものに対して「いいブログ見つけちゃった!」と書かれたりといろいろなことがある。

いちばん嬉しいのは、読んだ当時の僕が「うわーーーなんじゃこりゃああああすげえええええ」といったただただ「すごかった!」ということを伝えたいだけの感想が、何年もたって「すげえええええええええええええ」と誰かが一緒に盛り上がってくれることだ。そもそも僕は一番最初のブログの目的は、「読み終えた時のすげええええええええという感覚、興奮をそのまま誰かと語り合えるようブログにしたい」というものだった。

死ぬほど感動して、人生観変わるほどハマりこんだ作品に対して「重厚な作品でたいへんおもしろかったです」みたいな感想が10行ぐらい書いてあってそれで終わりの記事なんか、100個読んだって何のこやしにもならない……。やはり情熱と、興奮と、なんかぐっちゃぐっちゃしたよくわからない言語化できない感動がまきおこったときは、それを誰かと共有したい。冷静な☆評価や、分析なんかではなく、ただただ「すげえええええええ」を共有したい。

読み終えて何年もすると当然その時の驚きとか、震えとか、かすかに残っているだけになっちゃうけど、その時の興奮を文章に残しておいて、5年とか7年とか経った時に誰かがその作品で同じように驚いて、震えて、興奮して、そんでもって僕のブログをみつけて「そうだよなあああすごかったよなあああ」と思ってくれている人がいるのをみるのが、今のところいちばんうれしいことだ。

なにが言いたいのかわからなくなったが。単なる凡人の、30年前なら絶対に残るはずがなかったログが今なら10年も残って、10年後の人間に読まれているかもしれないと考えるのは、なかなかスリリングだよな、という話かもしれない。たかだかブログ記事だとはいっても、ずっと先まで読まれることを想定して書くこともできる。

しかしいわゆるブロガーやHPを更新している人たちというのは、自分の娘や息子が大きくなった時に、その書き続けてきたものを教えるんだろうか。10年20年と書いてきたログがたまっていると、当然ながら未熟だった記述もたくさん残っているわけであって、親としてはあまりみられたくないのではなかろうかと思うし、子供側としても親が高校生や大学生だった頃のログが読もうと思えば読めてしまうというのは、なんだかとても気まずいような気がするな。

もっとも僕はしばらく縁がなさそうなので心配しなくてもいいんだが。