基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

あたまがいいってこと

あたまがいいっていうのにもいろいろあるだろう。

たとえば計算速度がはやいひと。これはなにも暗算の速度のことだけではなく、AパターンBパターンCパターンといろんな可能性を瞬時に判断して選択することが出来るひとだったりする。あるいは頭のなかにたくさんのモデルを持っている人。たとえば経済を学んだ人間であれば、ある物事が商売になるかどうか、わりと簡単に計算しようとしてみるだろう。バス会社を運営しようと考えた時にバス代およびバスの運転手代、修理代、思わぬリスクなどをある程度見積もり、ある一定の区間で何人載ったと仮定した時に一人いくら運賃をとれば利益が出せるか、みたいな。そういう「思考のモデル」を持っているとある状況に出くわした時に「このときは経済モデルを使おう」とか「このときは生物多様性モデルを使おう」みたいにいろいろ使い分けられて頭がよくみえる。

類似系で元から考えていることはすぐにでてくるので、日頃からいろいろ考えてストックをためておくと初対面ぐらいだとすごく頭がよくみえる。たとえば死刑制度、たとえばテクノロジーの未来について、たとえばグローバリゼーションについて、英語学習について、イジメについて、と世の中とにかく話題にはことかかないのでそのへんのバスワードについて一定の考えを持っておくとすぱっと出せて「なんて頭の回転が早い人だ!」みたいになる。いちばん多く見られる「頭が良い」と云われている人たちの類型はこれじゃなかろうか。ただもとからつくっておいたものを出しているだけなので基本的に元から考えておけばいいだけなので誰にでもできる。ということは頭の良さとは違うような気がする。

あとはまあまったく自分の思いもよらないところまで想像を巡らせられる人は頭が良い人といわれるだろう。先の例で言えば「あらかじめ考えておく」ことは誰にでもできるが「だれも考えていないような領域まで考えている」のならば違う。ソフトウェアの設計で言えばだれも考えていなかったような斬新なアイディアを持っているとか、だれも思いもしなかった潜在的なバグ要因、失敗要因を見付けられるとか。いったんまとめると頭の良さの尺度としていくつか考えられるのは速度、型の数、それから深度だろうか。

「わたしはあたまがわるいから」という人がいるが僕はほとんどの場合、「それって怠惰のいいわけじゃないですか」と思う。もちろん別にそれが悪いわけじゃない。「めんどうくさいから」というよりかはよほど角が立たないだろう。速度が遅ければ人よりも長く走ればいい。型の数が足りなければ型を構築すればいい。深度は……難しいね。そしてこうした能力について余人が辿りつけないほど早く、多く、深く潜れる人間がいわゆる「天才」と呼ばれる人なのだろうかと考えてみる。