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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ジャンルの多様性について

2003年頃のライトノベルではSF・ファンタジー以外は出せなかったのか - Togetter
うえをよんでおもったこと

ライトノベルになぜこだわるのかといえばいまいちばんおもしろい場所だからだ。毎月大量に新刊が出て、毎年大量に新人作家が産まれ、大量の作家が消えていき、そしてその中身は常に変化を続けている。ジャンルに区切って言えば、これだけおもしろいジャンルもないとおもう。そして最初はシンプルだったライトノベルとしてのお約束が、今や多様化し、裏を書き上を書き左を書き右を書きそして先人が書いたその先を書くといったように豊穣な世界になっていっているように思う。

基本的に映画でも小説でも、最初はシンプルなものだ。たとえばミステリは最初はシンプルに、謎があって、それを理屈が解き明かしていくものだった。次第に社会派、本格、犯罪心理に法廷推理、警察小説にメタミステリ、はては人の死なない日常ミステリまで生まれてきてどんどんジャンルとしての幅が広がっていく。ジャンル内ジャンルとしての区分だけではなく、たとえば最終的に犯人がわからないとか、動機がよくわからないとか、すっきりしないものも増えてくる。

さいきん『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』の読んでいなかった六巻と七巻(電子書籍で出ているとこまで)を読んで思ったのだが、たとえばこの「スクールカースト物」というか「学園内での微妙な人間関係の制御を軸にしたラブコメ」みたいな軸のものもかなり複雑になっているとおもうんだよね。スクールカーストと一口に言ってもそこでは厳密にバラモンクシャトリヤ(だっけ? とかって厳密に名前がつけられて区別されているわけでもない。上位の人間だから嫌なやつだとかもない。特に飢えていない日本の学校に通う大多数の子どもたちは「嫌な部分がある」ことがあるのは当然として「いいところがない」やつなんてほぼいないと思うがたとえばフィクションはそこを非常に単純化して悪の権化みたいに書いたりする。

そうするとやっつけるときにたいへんわかりやすい。しかし現実にはそんなにすっきりと「こいつは悪だ」と断言できるような例はまずない。さまざまな要因が考えられるし、単一の解釈に落としこむことはまずできない。僕は別にそうではない、単一の解釈に落とし込めるような物語が「リアルではない」から「ダメな作品である」といっているわけではない。ジャンルや表現が進んでいった先には、より複雑に、微妙な差異を書いていく傾向があるだろうと考えているだけだ。前人と同じところを書いてもしかたがないから。