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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

組織について

たぶん押井守さんからの受け売りだと思うけれど、組織を僕はサッカーチームのようなものだと考えている。

ある人間はそのチームで活躍してもっと上のチーム、あるいは本来自分がいきたかったチームに行きたい。

ある人間はとっとと生活出来るだけのお金を稼いで辞めたい。

ある人間はそのチームの監督に恩義をいだいており、その監督のために勝利を捧げたいと考えている。

ある人間はそのチーム自体に愛着を持っていて、勝たせてあげたいと考えている。

ある人間は適当にがんばって適当に金が稼げればいいと考えている。

ある人間はサッカーをしているだけで楽しい人間である。

さて……。たとえば「そのチームで活躍して本来自分が行きたかったチームに行きたい」人間はそのチームが勝たなくても別に問題はない。自分が活躍しさえすればチームの勝利なんてどうでもいいのだ。サッカーをしているだけで楽しい人間も別に勝ち負けはあまりこだわらなくていいだろう。もちろん負け続きであればチームにいられなくなるわけであるが。監督やチーム自体に恩義を感じている人間は勝ちたいと願うだろう。会社という組織でも同様である。経験を積んでとっとと余所に行きたい人もいれば会社へ恩義を感じている人もいて会社が発展して欲しいと考えている。社長や上司に恩義を感じている人間もいるだろう。とにかくあまりがんばらずに、だらだらと金が稼げればいいと考えている人間だって居るはずだ。こうした最も基本的なことがわかっていない人間がいると会社というのはすごく居辛い場所になる。

たとえば「勝つぞーー!! 俺達は勝つのが至上目的だし、なんでお前らが勝とうとしないのかわからない」といった思想を全員に共有させようとしても、最初からそういう人間を選んだり、違う人間を切り捨てて行かない限り不可能なのだ。そしてそんな単一の思想で染まった組織には違う考えの人間はたいへん居辛いだろう。でもこういう意味不明な思想統一みたいなことは日常的に組織内で行われているとおもわれる。

所属している人間にとっては単なる通過点、自分にとって金を稼ぐ一手段でしかないのに「会社のためにこれをやれあれをやれ」という方針がどんどん決定していくと、やってられるかと思うだろう。それは当たり前だ。人間一人一人組織に所属している理由、その勝利条件が異なる。社長は会社の業績が上がれば勝ちかもしれないが、一社員にとっては会社の業績の上がり下がりが「勝ち」の条件にはならないことが多い。たとえ業績があがっても自分がまったく経験がつめなかったり、自己の満足が得られなかったりしたらなんのいみもない。

仕事をする理由は第一に「金が必要だから」がくるが、そう単純な問題ではない。たとえば金は微妙でも今後いかせそうな経験が積めるのならば受けることはありえるだろうし、この人のためにやってあげたいという思いがあればやるだろう。将来性やあんまり働かなくてもいい、プレッシャーが少ないなどさまざまな理由があるだろう。僕はもともとそう長く勤めるつもりはさらさらなかったからどんなふうになろうと辞めていたと思うが、そうしたいろんな動機の人間に答えられるような組織、あるいは単一の動機に支えられた人間たちを集めた組織は、たぶん離職率や空気はよくなるだろう。

会社の空気が悪くなったり、業績が良いにも関わらず辛くなっていくのは、そうした個人の動機を会社側が認められない、あるいは認めない場合に起こる。ただし会社側が「こうした人間を集めよう」と考えてその方針にそってやっていく場合は、辛くなっていく人間はやめるのが正解だろう。僕が今まで見てきた数少ない例では、今述べたような特徴がある企業がいくつかある。会社のために全力でやれ! と個々人の動機を無視し会社への奉仕を一律に求めてくる企業。そしてその方針にそって、その方針についていける人間だけを選別し採用し、合わない人間は切り捨てていく企業。まあいろいろだろう。

一方向に偏った人間で構成された組織は危機に脆いし変化に弱い。かといってずぶずぶのどんな動機にも答えられるような会社というのもなかなか考えづらい。一番わかりやすいのは「必要なときに必要なスキルを持った人間を当て込んで用がすんだら解雇する」という形式で、これは好きなように人材を得ることができる企業なら当然こうなる。とはいってもそうした一流企業といえそうなところでも、さらに一流の能力を持った人間はあっけなく余所に良い条件を突きつけられて去っていってしまうことに大変苦労して様々な手段を講じて(勤続年数によって使用可能になるストックオプションが与えられたり)(GoogleからFacebookに人がどんどん流れていったように)こうした組織における人の確保の問題はどこまでいっても最適解などは導かれそうにない。

まあもっか僕自身の問題になっているのは日本の中小企業であってそんなハイパー組織のことはしらんのだが。日本の組織はでもそうした個々人の「自由」への尊重が欠けているように思うが、まあこれも善し悪しか。これは印象論なので信用しないでもらいたいのだが、アメリカのような欧米型の企業は、様々なことをシステマチックに解決しようとする。たとえばやる気の科学という本の中では、母親に定期的に電話をするインセンティブを自身に課すために、コミットメント契約という「◯◯しなかったら◯◯払う」とする罰則型の契約を結ぶ女性のエピソードが出てくるが、これなど最たるもので「システム的に解決できるならその内実がどうであろうと構わない」とする気風があるように思う。

ストック・オプションで人を会社に縛り付けるのもその例としてあげられるだろう。ようは会社に残ってくれるということが重要なのであって、快く残ってくれるとか、一緒に仲間として気持ちよく働こうとさせる気があまりないようにも見える。一方日本型の組織というのは(印象論ですよ、再度)そうした「システマチックに人を離れられなくする」方法よりかは「やりがい」とか「人と人との繋がり」とか気持ちの部分での充足感を与えて人を残そうとする傾向があるように思う。これはそうした空気に順応できたり、自分自身にやりがいの幻想を持てるようならば自発的行動の結果として残るわけであって、システムは伴わないが内実、気持ち的には良いのかもしれない。

いろんな動機の人間がいるのだから最適なのは必要な人材であれば一人ひとりの動機によりそってそれを満たしていくことが一番いいには決まっているのだが、今度はコストがかかるとなれば本末転倒だ。まあとにかくいろいろ考えることがあっておもしろい。