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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

わりなき恋

いやーこれはよかったなー。

孤独と自由を謳歌する、国際的なドキュメンタリー作家・伊奈笙子、69歳。秒刻みのスケジュールに追われる、大企業のトップマネジメント・九鬼兼太、58歳。激動する世界情勢と日本経済、混沌とするメディア界の最前線に身を置く二人が、偶然、隣り合わせたパリ行きのファーストクラスで、ふと交わした『プラハの春』の思い出話…。それがすべての始まりだった。容赦なく過ぎゆく時に抗う最後の恋。愛着、束縛、執念…男女間のあらゆる感情を呑み込みながら謳い上げる人生賛歌。

あらすじを読めばわかるとおり、69歳と58歳のお二方の恋愛を中心に書いた一作。ただそれだけでなく、二人とも国際的な仕事をしている関係でしょっちゅう舞台は日本を離れパリでお茶をし中国でご飯を食べ世界の情勢について意見を交わす。どちらもエリート・クラスの人間で会話は知的であり付き合っている人間、動かす仕事もとても大きい。世界情勢の動きと、二人の恋愛の行方が対照的に展開していくので恋愛モノが苦手でもかなり楽しく読めた。

しかし老いらくの恋というのはこれから先今より話題になるだろうなあ。ナマイキなことを言わせてもらえば、寿命が伸びた老人たちは、まだ自分たちの伸びた時間の使い途をどうしたらいいのかためらっているように見える。もともと人間なんて10代後半で子どもを生み、20代で後進を育て、30代は余生だった。人類初期の平均寿命は20〜30だったのだ。その後環境や、技術が発展したことによって現在先進国においては寿命が約3倍になった。70〜80年も生きるようになったのだ。1800年頃でも40代ぐらいが平均寿命だったから200年で約2倍に伸びたのである。問題はそうして伸びた寿命に、生きる意味が追いついていないことではないか。何のために生きるのか、という思想の欠如。

自分が60,70になった時のことを考えることがあるが、今とあんまり変わらないのではないかという気がする。自然と歳をとれば、歳をとったなりに考えも変化していくものだと漠然と考えていたが、経験やパターンへの対処法が増えていくだけで、それ以外の部分への嗜好はほとんど変わらない。歳をとっても恋愛をするだろうし(老人ホームの恋愛沙汰のコラムをいくつか読んだことがあるが、人間なかなか枯れないものだね)趣味があれば今みたいにハマっているだろう。

わりなき恋、とは当て字をすれば理なき恋になるようだ。割り切れない恋、といったところだろうか。69歳と58歳、セックスも最初はうまくいかず(やるんだ! というか出来るんだ!! と最初読んだ時驚いたが)そもそも58歳のエリート・クラスの男は妻子がある身で猛烈にアタックをかけてくるので、そのへんも割り切れないねえってところだ。何事も手際よくこなし、エスコートも完璧で人当たりも良い完璧超人のような男だが、その実妻子も裏切る気はなく、なかなか自分勝手な男だ。

女性の主人公である伊奈笙子(というか岸恵子)はそうした相手に動揺するが、割り切りがよくかなり自身をコントロールできているようにみえる。状況把握も的確で、切り捨てる時はかなりしっかりと切り捨てる。ただエリート・クラスの男も諦めが悪く泥臭く関係を持続させようとする上に、岸恵子もすっぱりと割り切れるわけでもないので、なんだかそのへんの葛藤がずいぶんと長い。僕は自分がかなりあっさりと人間関係を切り捨ててしまう方なので、こうした泥臭さというか、「なんとしてもこの人じゃなきゃダメなんだ、代りは居ないんだ」という感覚は読んでいて新鮮だ。どうなんだろうな。たまにうらやましく思うようなこともある。もっとなんかこう、情熱を持って、諦め悪くすがっていったほうがいいのではないか? でもそんなもの、持とうと思って持つようなものでもないだろうな。

何が良かったのかうまく言葉にできないが、人間というのが60を超え70を超えてもいくらでも人生に迷い、決断し、受け入れていくことが出来るという、そうした物語を書こうという意志がとても良かったと思うのだ。