基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

にっき:驚いた日とかレビューサイトとかコンテンツの輸出とか

艦隊これくしょんというやつをやってみようとおもって探したら、登録が制限されていた。おお、すごいな……。登録が制限されるなんて……。まあ登録してもどうせ30分もやらなかっただろうからいいんだけど、登録制限という異常事態に驚いた。パズルドラゴンはやめたわけだけど周りの人間が大勢やっていてこれもすごいよねえ。40代の人がばしばしハマってるんだもん。というかパチンコやスロが好きだけど最近出ないからあんまりおもしろくなーいと思っているおっさん連中が軒並み取り込まれている印象。

しかしまあなんでもそうだけどテレビで宣伝し始めたらもう終わりだなって思いますね。ようはもう宣伝するぐらいしか客を伸ばす余地がないんですよ。そしてテレビコマーシャルなんてやったらそれ以外にもう有効な手段は(国内では)ほぼないわけであって、そこが頭打ちなんだと思いますね。だいたい宣伝するようなものは宣伝をしなければ売れないクソなわけであってそもそも近寄るべきでないというのが僕の持論ですが金がじゃぶじゃぶあると使い途が大規模な宣伝ぐらいしかなくなって宣伝をしはじめるのでこれもまた注意が必要なんですね。

ノーゲーム・ノーライフ4巻を読んでその完成度の高さにも驚いた。編み編み編み込まれたプロットでいやーよく考えるね。こういうのは最初に考えてから書くのかなやっぱり。世の中にはいろんな書き方をする人がいて使い分ける人もいるわけだけど、たとえば一回全部書いてから破棄して書きなおすとか、大雑把な方針だけ決めて書き始めるとか、プロットをちゃんと組んでから書き始めるとか。絵コンテとかでもそうだけど先にプロットというかイメージを作っておくのは「面白いか/面白くないか」の事前の判定になるし、それ以上に実際書き始めて8割いったところで「あ、やっぱこれつまらないわ」となって全部無駄になるときの保険になるのでいいわけだけど、絵や他の創作物にくらべて文章系はリカバーが容易なのであんまりやり方は固定されていない印象がある。

英訳版基本読書をつくるのがもっかの目標になっているのだが(もはや僕の行動の方向性がわからないが)、英語圏には個人のレビューサイトってどれぐらいの数あるんだろうなあ。英語習得者の数だけでいえばもう有名ドコロでも何百何千とあってもおかしくなさそうだけど、検索でヒットするのは大手新聞社のレビューなどが上をずらっと占めているのでなかなか他のところまで目が届かない。日本で言う読書メーターみたいなのもあるけど、これはレビューサイトとは違う。

問題は大手新聞社のレビューが網羅的すぎるところだろう。僕がメジャーどころの洋書しか読んでいないこともあると思うが、何を検索しても企業のやっているそこそこの質のレビューが4つも5つも出てくるから個人サイトなんか誰も読まないのかもしれない。特に英語圏のreviewは一つ一つの分量が濃い。日本語換算だとどの記事も2000〜3500程度はどの記事もあると思う(もちろん短いのもあるけど)。一方日本だと大手新聞社のレビューは新聞のものをそのまま移しているだけのものが多いから(というか全部そうかな? あんまり読まないからわからない)、文字数がすごく少なくて(せいぜい800ぐらい?)正直言って読んでもまったくネット上では価値を感じられないものが多い。数も少ないし。

まあ別に英語版に移植してアフィリエイトうははとかアクセスをグローバルにとかいう目的があるわけでもないからそんな需要はあるのか、読まれるのかみたいな考えはしなくてもいいんだけど。僕が漠然と考えているのは、そういう日本に存在しているコンテンツを自然に翻訳して、読まれる読まれないはまったく無関係に「接続しようと思えば接続できるようにしておくこと」が重要だってこと。そしてそんな読まれる読まれないをまったく度外視したアホみたいな計画は、僕のようなただの趣味人しかやらないし、だからこそやる意味があるってことをぼんやりと考えているわけ。

そして他人のコンテンツを勝手に翻訳するわけにもいかないからまずは自分のものでやってみようというのがまあ王道というか正道でしょう。「価値」があるかは問題ではない。そういう自然な並置が当たり前になればいいなと僕が思っている。グローバル化グローバル化と叫ばれる現在だけど、普通に就職したらまずグローバル化だから英語でやり取りをするとか、ってことはあんまりない。もちろん前よりはあって、端々にそうした影響が現れてきているのは確かだけど。

で、そういうグローバル化ってのはどうにも幻ちっくというか、あんまり実感がわかない事態なわけですが。でも実際今手元にはインターネットってものがあって、その気になればクリックひとつで文化圏の異なる情報に接続できる。で、あればこそ個々人ができるもっとも簡単なグローバル化というか、そうした文化圏を飛び越える為の方法ってのは、自分が持っているものを単に英訳してだせばそれだけで一応形は整うんだよね。なぜかそういう「日本のネットコンテンツを世界へ」みたいな一番簡単な、お手軽な、クールジャパンとかいう以前の最初の一手だろ、ってところがずいぶんとおざなりにされているような気がする。