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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ネットの議論?

ネットの議論……というかトラックバックを送り合う文化というか、話題になったトピックにたいして「俺(私)も一言言っとくか」みたいに人々がのっかってくるの、とても不毛だと僕は思っているので視界に入らないようにしている。というかみんな日々生活して、自分自身の趣味的な活動を送っているはずなのに、よくそうした突発的に持ち上がってくる、いわば「外からの入ってくる自分ではどうしようもない力」にのっかれるよな、と思うのだけど、どうしているんだろう。ぼくは大抵仕事中「帰ったらあれやろうこれやろう何か書きたいあれも読みたい」と思って前のめりでかえってくるのでそうした突発的に持ち上がってくるトピックに反応する隙間がない。

こっからはまた別の理由。たいていの言及合戦、議論?って、人それぞれコンセプトや視点が違いすぎてまったく見当違いのことを言っているようにしかみえないことがほとんど(9割以上)である。おんなじことを語っているようにみえても、キイワードだけ同じで、まったく別のことを語っていたりする。たとえば「図書館やDVDのレンタルといった商売は著作権的に本来の意図を超えた使われ方をしているのではないか。ようは、レンタルや中古品を販売する時は都度都度著作権料が払われるべきではないか」といったことをどこかに書いたとしよう。

そうするとたとえば「図書館は無料にすることで地域の知力向上に役だっている」とか「読者が結果的に増える」とか「そもそもレンタルの起原は……」とか、まるで最初に提出した意見とは外れたものが集まってくる事が多い。今回の例で言えば「著作権の本質、そもそもの存在理由をどこにおくのか」そして本質の置き方によっては「現在の図書館やレンタル、中古販売はその在り方に疑問が起こる」のではないか、そしてその場合に最適なシステムとは何なのか、というところを外さなければ、議論といってもいいだろう。

そういう細かい共通理解がとれてないというか、うわっつらのキーワードだけとらえてそれについて自分の思いを書き散らし好き勝手に言及してあーせいせいした、って感じで終わりにするので、まず読むのが不毛である。ネットは議論に向いてないというか、議論もやろうと思えばできるけど、たいはんは「議論をしよう!」と準備やそうした理解を整えて始まるのではなく突発的にはじまって勝手に終わるので不毛なものばかりだ、という話。しかしそもそも年齢も立場も環境も一流大学でも中卒もとまったく異なる人間同士がごった煮状態で存在して好き勝手言及しているんだからそんな統制を求めるほうがおかしいし、それでこその面白さもあるという人がほとんどだろう。

最初期のインターネットは恐らく人間の質が重なっていただろうからとても居心地がいいというか、情報の伝達や議論がやりやすい空間だっただろう。その後の、インターネットサービスの勃興期でも同様のことがいえる。アーリーアダプターというか、同じような情報感度をもった人達が最初は集まってくるからだ。しかしそれ以外の人が集まってくるともっとくだらない内容が増える。まあ、考えてみればそういう、当たり前の連鎖の話か。