基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

きょういく

いじめとかが問題になるたびになんであんな意味不明なクラス制度をいつまでも保持しているのかさっぱりわからなくなる。ほんと、学校にかよってたときはあの狭い教室に大量の人間を押し込むシステムが嫌で嫌で仕方がなかった。狭い場所に大勢の人間を敷き詰めるのが人間の精神に良い影響を与えるわけがない。たとえ若返ることができたとしても学校にもう一度通うなんて絶対に嫌だ。

今は無料の教育やら、無料の大学の授業の配信、自宅で受けられる教育配信が盛り上がってきている。高校とか中学レベルの基本的な配信プログラムはないのかといえば、少なくともアメリカではある。個々人の家に配信し、各自の能力に合わせたカリキュラムの推進はアメリカのチャータースクール(公募型研究開発校)で実験が次々と行われて実際に効果もあげているみたいなので、これから先クラスに人間が集まって一緒に授業を受けるみたいなことは減っていくんじゃなかろうかと思う。それが自然な流れだろう。

でもそうすると必ず出てくるのがコミュニケーション能力がどうだとか言い出すひとたち。たしかにそうかもしれない。対人コミュニケーション能力は著しくそがれるかもしれないし、今の日本の会社組織に入ったらやっていけないだろう。でもそれは現状そういう社会、会社しかつくりあげてこれなかったからで、これからは別に対面コミュニケーションをしなくてもやっていけるように形態を変えていけばいいだけの話だろ、としか思えないなあ。今の時代人と人が直接会わなくちゃいけない、人が一箇所に集まらないといけないってめちゃくちゃ非効率でしょ。あと一人の教師が何十人もの生徒を見なきゃいけないモデルはもう限界だよね。

映画でも何でもそうだけど元々は大勢でやっていたのは、そうしないとできなかったからなんだよね。DVDなんてあるわけないし、テレビは大勢でみるものだったし。でもそれがだんだん一家に1台テレビがあるようになって、今では一人1台テレビがあってもおかしくない。パソコンだってもう一人1台が当たり前だ。教育だって大勢同時にやっていたのはそうでなければできなかったからだ。一人一人の家に教師を派遣なんてできなかったから。

でも明らかにもう時代にそぐわないよね、って話。旧世代のシステムを引きずる理由がいったいどれだけあるだろうか?