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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

かっこよさ

かっこよさってなんだろう。

人の行動にたいしては僕はけっこうかっこいいという表現を使う。あと台詞や言葉に対しても使う。でも見た目にたいして使うことはないし、無機物にたいしてもかっこいいという表現はしたことがないと思う。

というのも、僕はどうにも人型ロボット物が苦手で、ガルガンティアを見ながら理由をいろいろ考えていたのだった。ガンダムも好きじゃないし、コードギアスやらエウレカやらみてきたけど……。どれも人型ロボットである理由がさっぱりわからない。戦うんだったらどう考えても人型じゃないほうがいい。下手に理屈づけようとするとその理屈のおかしさがまた嘘っぽくてつらい。そしてアニメだと絵の力で人型ロボットが戦うというおかしさは強調される。ガルガンティアをなにも知らずに一話みて、人型ロボットが出てきて大変がっかりしたのだった。

でもぼくは他のほとんどの作品に関してはそうした「設定的なおかしさ」なんてものはどれもいったん考慮外において他に良い点を探そうとするし、現にたいていはできていると思っているわけで、人型ロボットが出てくるだけでがっかりするのは何かがおかしいと思うわけである。げんにガルガンティアだって人型ロボットである点をのぞけばめっぽう面白い。そして考えたのが、僕は人型ロボットが出てくることによる設定のおかしさを無視するだけの利点を見いだせていないからではないかという結論だった。

そこで最初に戻る。ようは、あるマイナスを無視あるいは許容出来るためにはそのマイナスにともなってくっついてくるプラスがあるからこそであると考えるのである。ハーレム物ライトノベルは数多くあるし、ほとんど何の魅力もないアホみたいな主人公に二次元美少女が大量に寄り添ってベタぼれになるというのは恐ろしく違和感である。しかしそうした違和感を許容してしまえば、自身を主人公に感情移入させ願望が充足されるというプラスを得ることができる。

人型ロボットが好きな人たちはひょっとして、人型ロボットがいるという設定的な不合理を「しかし、人型ロボットはかっこいいからOK!」という論理で乗り越えているのではないだろうか。そして僕は人型ロボットがかっこいいと思ったことがない。コードギアスはなんかぴかぴか光ってるし、意味不明にとんがっているし、ガンダムは色がおかしいし、あの形のどこがかっこいいのかさっぱりわからない。気持ち悪いと思うぐらいだ。僕にとって人型ロボットは設定の不合理でありさらには形も設定の不合理からくる意味不明さで微妙とくる。

しかしそもそもかっこういいとは何なのかという疑問。誰もが納得する、美の定義が不可能であるようにかっこいいという感覚の言語化もまた不可能なのか。そもそもかっこいい形ってなんなんだ。難しい、難しい。