基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

地下鉄のザジ (中公文庫)

いや、これは素晴らしい。著者は文体練習の人か。ザジは女の子の名前で、パリに彼女の母親と一緒に、叔父に預けられにくる。ザジの望みは地下鉄に乗ることだが、ストライキによってなかなかそれが満たされることはない。なんといっても素敵なのはザジがあまりにも小憎たらしい少女であることだけど、僕は大好き。小賢しく、歳のわりに利口で、我慢が利かず、生意気で反逆的で、とんでもなく魅力的だ。けつ喰らえ、とことあるごとに言うのだが、明らかに自身へ押し付けられる役割への反発がみえて、そうした一つ一つのことへの共感を覚える。おんなのこがどんな育てられ方をするのか、身近に参考例がないので知らないんだけど、規範への押し付けはキツイものがあるだろうと想像する。

おしとやかに、とことさらいわれることもないかもしれないが、おんなのこにはおんなのこらしさといったものが求められる。汚い言葉は使わないことだったり、人形で遊んだり。大きくなったら大きくなったらで結婚していないとあれこれ言われたり子どもがいたらあれこれいわれたり育て方についてもあれこれ役割を押し付けられる。が、大人はなんといっても大人なのだ。自身でそんなものははねのければいい。ところが子どもはそうはいかない。最大の庇護者であるはずの親にそうしたロールをあてられて、なかなか反発し続けられるものでもない。

だからそうした役割にたいして一貫した反発した、反逆者としての態度をとるザジのような少女が魅力的にみえるのかもしれない。いちおう読み終えた後他の感想をみてみたら、これはユーモア小説だと捉えられているみたいだ。残念ながらまったく笑えるようなことはなかった。しかしこれがユーモアだったのか。どちらかといえば切実な少女による自身の直情的な願望を通すことができないクソッたれた世界への戦いのように読んでいたから。ストで地下鉄に乗れないなんてのはその最たるものだ。アホくさ、と。

65歳まで学校へいくつもりよ、小学校の教師として、とザジがいったときの応答がおもしろい。『悪い商売じゃないわ、恩給がつくものね』といわれると「恩給けつ喰らえ」と返す。先生になりたいのは恩給のためなんかじゃないのだ。

「さあ? どうしてなりたいんかね? 学校の先生に?」
「いじめてやれるから」ザジは答える。「十年さきに、二十年さきに、五十年さきに、百年さきに、千年さきにあたしの年になる女の子を。いつの時代だってシゴキ甲斐のあるガキは跡を絶たないもの」
「なるほど」
「女の子にめちゃくちゃ意地悪してやるの。床をなめさせてやるわ。黒板拭きを食べさせてやるの。お尻にコンパスを突き立ててやるわ。尻たぶを蹴飛ばしてやるわ。どうせ長靴をはくんだもの。冬は。こんなに長い長いやつよ(身振り)。尻の肉に突き刺さる大きな拍車のついた」

こんなことをいっておきながら二十年すれば教師なんていなくなると言われればすぐに宇宙飛行士になって火星人をいじめに行くんだと目標を柔軟に切り替えてみせる。このイマジネーションの閃きよ。

しかしなんとも不確定な物語だ。ザジの年齢さえもわからない。出てくる人間は正体もわからなければ男だか女だかもよくわからない。呼称がガブリエルからガブリエラにかわっていたりする。ケツ喰らえ、という少女の口癖は周りの大人の伝搬していき、喋れ、喋れ、それだけが取り柄さ、という途中からでてくるオウムの言葉も人間が模倣していく。ようは人格というか、キャラクタまで交じり合っていくわけで手に負えない。

心情だってほとんど書かれることがなく、とんでもない事態がただ状況だけで進展していく。そういう意味で言えばコメディ的といえなくもないのか。なんとも非現実的な世界、キャラクタであるので、ギャグ漫画時空のような特殊な世界観に入ってしまったかのような感覚を受けるが、起こることは現実そのものだ。撃たれれば人は死に、陰湿ないじめもあれば暗い過去がある。

この不可思議さとリアリティの並び方は、不思議の国のアリスを読んだ時の感覚に似ている。表現しづらいけど、子どもの表現力によっている、って感じなんだよね。性別不詳の人物も、職業不定でさまざまなロールをやりくりする謎の人物も、さらには事実なんて置いといて言葉のやり取りで実際に現実が展開していく物語世界に在り方のような「徹底的な不安定さ」っていうのは。

「車は勝手に動き出さない」「人形は絶対に動かない」というようにある事象が確定されないことこそが子どもの想像力の源泉なのだとしたら、この世界は超常現象も異世界への旅もなく、現実を現実のまま不安定にすることで異世界にしているのだと思う。※リクエストしたむなしさんは簡単でいいのでこの作品への感想をください!