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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

コミュ力皆無の人間が人と話を持続させるための方法

僕は相当な嘘吐きである。

もはや息を吸って吐くかのごとく嘘をつくので自分でも何が嘘で何が本当で、何が嘘なのかわからなくなってくる。というか嘘をつきすぎると、この現実でそれが実際に起こったことなのか、はたまた起こらなかったことなのか、そんなことどうでもよくなってくる。だいたいある出来事がこの世に実際に起ったかどうかなんて、誰も見ていない場所であればいったいどこのだれが証明できる? 自分以外にはいない。そして自分自身の記憶なんてあてにならないものだ。20年前の今日と同じ日、自分が何をやっていたのか正確無比に答えられる人間がどこにいる? いないんだ。だったら20年前の今日やっていたことはすべてでっちあげたっていいんだ。誰も覚えていないんだから。

しかし何か目的があって嘘を吐くならまだしも何の意味もない嘘をつきまくるのでしょっちゅう怒られたものだ。たとえば旅行にいったといってある人には3日いったといい、ある人には2週間いったという。2週間!? 仕事(学校)は休んだの? と言われれば「休んだよ」と答え適当に返事をするがそもそも旅行になどいっていなかったりする。そんなのどうだっていいのだ。騙された方もどこかにいいことが起こるならまだしもなんでこんな意味のない嘘をつくの!?!?! と怒るのだが僕も特に意識して嘘をついているわけでもないので始末に困る。さすがに大学を卒業して社会に出てからも嘘を吐きまくっていたらちょっとまずいことになったりもしたので極力抑えているのだがそれは「嘘です」と白状しなくなっただけなので本質的には改善していない。

ブログにもTwitterにも自然と情報を漏らしましたよ、という体で(自分のエピソードに関しては)まったくでたらめな情報を書くので相当間違った認識を植え付けている自覚はある。たとえば◯◯にきています、といってまったくいっていなかったりする。過去◯◯した〜とか◯◯にいった〜とか書いているけれど嘘かもしれない。話の書き出し的になんとなく思いついたエピソードがあったらまるっきりフィクションでも自分が経験したかのように語ったりする。過去についた嘘など何も覚えていないので相当矛盾したことも言っているはずである。

なぜ嘘など吐くのか──というところになってくるとこれはもう「めんどうくさいから」の一言に尽きる。相手と話をするのが面倒くさい。知らないといってそれを説明してもらうのも面倒くさい。とにかくやり取りをするのが面倒くさく、会話が滞るのも面倒くさい、早く会話を終わらせ、円滑にするためだけに嘘をつく。精確な情報を覚えていない時は「これはう〜んとどうだったかな〜」とか「精確な情報ではないんだけど」という枕詞をつけるのも面倒くさいので「こうです」と言い切ってしまう。たとえば美容院にいくと必ず会話があるのだが僕はこれを乗り越えるために行く度に違う国にいっているハイパー旅行者みたいになっている。今度はチベットの方にいってきましてね、ええ、仕事は3週間休みまして、え、そんなに休めるのかだって? いやあうちは暇だから休み放題なんですよがははは。

AにするかBにするかといったどうでもいいことで迷っている時は時間がもったいないので「これこれこういう情報がありますからBにしましょう。Bにすべきです」と強引に決めてしまうがもちろん「これこれこういう情報」なんてものは完全にフィクションであり、とにかくどちらでもいいことで悩むのが馬鹿らしいからつくタイプの嘘だ。お前は最低だと思われるかもしれないがコミュ力が皆無だった僕がなんとか人と会話をするため、会話を持続させるためにコネ繰り出している嘘であり嘘をはけないのであれば僕は人とコミュニケーションがとれないだろう。

どうしても抜けられない、どうしても会話をしなければいけない場面というのは、いつだってあるものだ。会話が盛り上がらなければ盛り上がりそうな過去エピソードをでっち上げて嘘をつき、会話が不安な方向にいきそうならば軌道を修正するために適当な自身のエピソードをでっちあげテーマ性をもたせた嘘をはき、会話が滞りそうになったらすべてを知っているかのような態度で嘘をはき、誘導し、とにかくたくさん嘘をついてきた。

というわけで本日の結論的にはコミュ力がない人間は嘘をはけと言いたくなる。が、それで僕はまったく信頼されない人間になったので善し悪しである。でも考えてみればこんだけ無駄な文章がぽんぽんと湯水のように出てくるのも嘘吐きの性からきているのかもしれない。