基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ネットで情報を探すのはいつからか苦行になった。

「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠

ここ数ヶ月、特にネットがつまらないなあと思ってもはや一日のネット時間(ブログを書く時間をのぞく)が30分に満たない状況だったので上記のリンク先を興味深く読んだ。たしかに。「自分がつまらない」というか、ネットには人がいっぱいいていろんな人がいろんなことやっているんだから面白い人は面白い。ようはつまらなければ面白いところを探せばいいという話になる。まったくである。たいへん頷くことしかり。

ただし僕が感じているこのつまらなさは「面白いものが見当たらない」ところにあるのではなく「面白い、楽しめる情報を探すのにコストがかかりすぎる」ことにある。たとえばある本の感想を漁った所で、出てくるのはなんだかよくわからない、ブログの書影を載せているだけの購入報告かなんだかわからんがなんの意味もない記事だったり、どこを読んでもコピペしてきたような感想の連続だったりする。

もちろん探せばあるところにはある。質の高い情報を毎度更新してくれる人もいる。たとえばシロクマさんのように。でも今ではそうした情報を探すのはたいへんになってしまった。僕は一時期ニュースサイトをやっていたこともあるからそれは実感としてある。面白い記事はある。あまり発見されていないような、埋もれている記事もある。でもそれを発見するためには、大量のゴミみたいな情報に眼を通していかなければいけない。それがとてもつらくなって僕はニュースサイトをやめたのだ。

最初からつらかったわけではない。やっていなければ出会えなかった情報も多い。楽しかったことも多い。でもだからこそ「段々と情報収集がつらくなっていく」状況を僕は経験している。それを僕は「インターネットはつまらなくなった」とはもう言わないけれど、「情報収集のコストが段々上がってきた」と表現するぐらいはしてもいいのではないかと思っている。良い情報を得るためには、ゴミのような情報を経由しなければならない。

まなめさんの本にはまなめ『カリスマニュースサイト管理人が15年続けたシンプルな情報収集術 (impress QuickBooks)』 - 基本読書 『自分で情報を探そうとしたらノイズを受け入れればよい』 『ゆえに、インターネットという量が質を生み出す世界で情報収集するには、数多くのノイズを許容することが必要になってくるのです』と書かれていて、僕にはそれはとてもつらいことだった。あるときから探した先から得られるものより、探すことのコスト、苦痛が上回ってしまったのだ。

まあこれは僕の知りたい情報というのがどんどん偏執的になっていったという、ごくごく個人的な事情が大きいのかもしれない。あまり日々の生活の中で時間を自由に使えなくなってから、苦痛に感じるレベルがいつからか跳ね上がった。たとえば僕は本を読むのが好きだ。だけど直木賞とか芥川賞には何一つ興味はない。だれがとろうが、なにが受賞しようが興味なし。そしてそれにたいする感想もコメントも、いっさい見たくない。そんな情報に一秒だって自分の眼をふれさせたくない。

僕はSFも好きだ。でも人の感想や批評には基本的に興味がない。伊藤計劃以後だなんだのとTwitterをみると言っているが、どうでもいい。これもまた一秒だって眼に触れさせたくないような類の情報だ。しかしたいていのSF好きはそうしたわけのわからない伊藤計劃以後がダメだなり賛成なりといった意見を表明したがる。故に、SF好きな人で情報を発信する人を僕が積極的に情報を探すためにフォローすることはない。知りたい情報を得るために、知りたくもない情報を知らされるコストがかかっている。

僕は極端な一例である。これはある意味僕が読書マニアだからかもしれない。今まではテレビや新聞はジェネラリストが集めた情報だった。ようは一般的な傾向へ向けた、広くレンジをとった情報をテレビや新聞はその性質上扱わざるをえない。ネットも大衆化する以上、ジェネラリスト向けの情報が増え、それが検索などの情報収集に影響を与えるようになってきたということ。

ネットで知りたい情報を得ることへのコストというのは年々上がってきているというのが僕の個人的な実感だし、多くの人がネットをやるようになった今、そもそもそうした状況になるのが当然だと思う。ネットには面白い情報がたくさんある。でも年々その面白い情報を得るために、つまらない、自分にとって価値がない情報に身をさらさなければいけなくなっている。それは「ネットがつまらない」わけではないのかもしれないが、まあ似たようなもんだろうと僕は思う。