基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

感情移入について

感情移入させるのは物語をつくるうえではかなりてっとり早く物語を読者に楽しませるひとつの手段だろうし、たいていはそれをやる。

なかには登場人物をみな機械のような、感情移入しづらい人間に設定して拒む場合もあるが(SFでよくみかける)、それはそれでまた別の効果を生む。だから感情移入できる作品が優れているわけでもないし、感情移入できない作品がダメなわけでもない。まあ一般的に感情移入できない、というのはイコールダメな作品であるといわれていることが多いようにみえるが、それはそうした楽しみ方しかできない人の都合である。

しかし世の中には感情移入しすぎて自分とキャラクタをほとんど同一視してしまうような人もいて、こういう人は怖い。たとえばある作品のあるキャラクタに感情移入しすぎて、その作品がけなされたり、キャラクタが貶められたりするとまるで自分のことのように、自分の経歴を否定するのか!! と怒り出したりする(何度も経験がある)。「いや、それぐらいは自分と作品を切り離してくれよ‥‥」とは思うもののそれぐらい入れ込めるというのはある意味羨ましくもある。

そういう人は作中でキャラクタが救われるとまるで自分が救われたかのように感じるのだろうか。そこまでキャラクタに入れ込んだことがないからよくわからない。そういえば昔アニメ系のオフ会に一度だけ呼ばれて参加した時に(未だになんで呼ばれたのかわからない)、最初の自己紹介で「人生で一番萌えたキャラクタはなんですか」という質問をされて「さあ‥‥考えたこともなかったし、そもそも萌えってなんですか?」と答えたことを唐突に思い出した。ようするに「好きなキャラクタ」のことなのかな、と思ったが、そもそも「好きな作品」はあっても「好きなキャラクタ」が存在しないことにその時はじめて気がついた。それぐらいキャラクタに感情移入していなかったのかもしれない。

感情移入させるには、読者と同じ部分を表現させるのがいいのだろう。学生をターゲットにしたものであれば当然学生を主人公にするし、だらしなかったり普段はダメ人間にするのもいいだろう。どうせオタクが読むんだからオタクも出しておけば感情移入しやすかろう、みたいな。ハードな、つらい経験を共有させるほど感情移入の度合いは強くなるように、人を見ていると思う(たとえばイジメとか)。

なんでだろう。けっきょくつらい経験ってものは、やっぱりなかなか人と分かち合えないものなんだろう。イジメなんてその最たるもので、相談にいけない気持ちはわかる。たとえばフィクションでなくても、親友や親、家族を亡くした人たちは、アメリカなどではよく集まって自分たちの話をして回復につなげているようだ(アメリカ限定なのは、小説や映画にしょっちゅうそうい場面が出てくるからである。日本にもあるのかどうか、また一般的なのかどうかは知らない)。

感情移入しながら受容するのは全く悪いことじゃないし、多かれ少なかれみんなやっていることだ。ただ行き過ぎてもあんまりいいことはないんじゃないかな、と思う。しまらない感想。