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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

声の演技について

何かを元にしているわけではない。まったくの想像で以下を書く。ちなみに僕はアニメをほとんど見ないので、声優の名前も3人ぐらいしか知らないから何から何まで適当である。

たぶん声優というものが生まれたのは、オーディオドラマが最初だったのではないか。アニメ、というものが先にあったわけではないと思う。海外の実写映画に声をあてる文化がいつから生まれたのかさっぱり知らない。だからたぶんオーディオドラマが最初だったのではないかと思うわけだ。そしてたぶん、オーディオドラマであれば、声の演技は過剰であったほうが好ましかったに違いない(声しか情報がないんだから)。

その後アニメが生まれ、必然的に声をあてる必要がでてくる。ただし最初のアニメはかくかくだし、表現もそれほど洗練されていないから、キャラクアの演技も単純だったはずだ。そこでもやっぱり声で感情とか、心の動きを表現する必要が出てきただろう。しかしその後アニメとしての表現が洗練され、絵でキャラクタの感情を表現することが昔よりもっと可能になってきたときに、声優の演技が過剰になってきたのではないか、と僕は思うのである。ちょっとうるさいというか、甲高いというか。あまりバランスがとれてないんじゃないかなあと思うことがある。

だからこそジブリのように声優をまったくの素人が、普通にそのままの声をだすことに違和感を感じない。不思議なのは、あれを攻める人がいることで、どうも「普段から大量にアニメを見る人」ほど攻撃的になる傾向があるように見える。別に件数をとってグラフにしたわけでもないからただの感覚でしかないが。やっぱり普段みているもの、きいているものが「正」になってしまっているのではなかろうか。

これは別に「僕が多数側である」といっているわけではなく、何かにのめり込んでいる人というのはなかなかのめり込んでいない人のことがわからなくなりがちであるということが言いたいのだ。パシフィック・リムをみて思ったのとほとんど同じ。「好きな人は受け入れられるだろうけど、ロボも怪獣も好きじゃない人にはバカバカしいんじゃないかな」みたいな。アニメが好きで好きでたまらない人たちは「なんでこの作品をもっと多くの人が認めないんだ」というかもしれないが「そこにはほら、それ相応の理由があるんじゃないかな。たとえば声とかさ」と思ったりすることがあるのである。まあ、一例でしかないけど。