基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

作家の運動について

作家が走ったり泳いだりすることを言っているわけではない。

ある作家が何作品も発表した場合、僕が読んでいて楽しいのは「こんな作品もこのひとから出てくるのか!」という「作家の移動の軌跡」である。発想の振れ幅というか、野球にたとえれば右にも左にもバントもフライもどこにでも打ち分けられる人みたいなイメージだろうか(野球よくしらないのにたとえてしまった)。作品を打つ場所だけでなく、進んでいた場所をさらに深化させてくる場合もある。前者で凄まじいのは作家・森博嗣であり、後者で素晴らしいのは作家・神林長平である。そのどいらの運動も僕には奇跡的で、一人の人間がこんなに運動して作品を発表することが出来るのか!! と、作品を読むごとに感動する。

そして僕がある作家に惚れ込んだ時は、ある「特定の作品へ」惚れ込むというよりかは、そうした「作家の軌跡」みたいな、あるいは「作家の変化していく運動そのもの」へ惚れ込んでいるのである。たぶん作家も読んだり、書いたりしていくうちにどんどん新しいものを取り入れているのだろう。それは旅行から得たものかも、人付き合いから得たからかも、まあなんでもいいが、何から得たのかしらないが、とにかく変化していく。その「変化の方向性」みたいなのが、みんな違うし、そうした変化の方向性の中にしかその人の「本質」は捉えられないのではないかと僕は思っている。

ある一瞬一瞬、ある作品だけを切り出して「これがこの人の本質でござい」ということはできないだろう、ということだ。複数の作品を読んで、それを頭の中の小説空間の中に自分でマッピングして、その広さ、深さ、そしてその速度が好きになるのである。次に出てくる作品は、いったいどこへ飛んでいくのか、どこまで飛んでいくのか。そうした次に何が出てくるかわからない「わくわく感」みたいなのがある作家が、僕は好きだ。