基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

メタファーについて

メタファーという言葉が具体的にどういう定義で一般に使用されているのかよくしらないのだが、
特定の現象、感覚、出来事といったなんらかの事象一般を別の言葉、表現で置き換えることをメタファーだと個人的には思っている。
レイ・ブラッドベリがその著作で繰り返し未来や火星を舞台にして寂寥感、孤独感やそうした単なる言葉では表現できないような「実感」を書いたように、村上春樹がその組み込まれたメタファーで重層的に物語を構築するように、メタファーは容易に言葉にできないようなことをうつしとることができる。

あるいは神話と呼ばれるものがある。聖書からコーラン、ギリシャ神話まで長く伝えられる物語には神話の構造があって、何度も何度も形や装いをかえて現代の物語の中にも蘇ってくる。ようはそれらは何千年も前から変わらない人間の孤独感だったり、未来への不安だったり、苛立ちであったり、楽しさの根源であったり、といったところに触れてくるからこそ、未だに聖書が読み継がれ神話の構造が何度も何度も出てくることになる。神話、メタファーといったものは時間を超えるが、それはたぶん人間の外の部分が変わっても相変わらず変わらない身体の部分、認知機能がいつまでたっても変わらないからこそそれだけ長く受け継がれてきているのだろう。

だから人間が身体的機能を変更していった先には、きっと過去の神話構造やメタファーといったものは通用しなくなるのではないか。メタファーには時間経過が存在しないといった文章を読んだが、それを読んで思ったのがつまりそういうことだった。「メタファーに時間経過が存在しないのは、人間の認知機能がずっと変わらないという前提の上に成り立っているだけだ」。機械に身体を置き換えていった人間にはまったく別の聖書が必要だろうし、知性が身体から飛び越えていった人間にはこれまたまったく別の聖書が必要なのではないかと、僕は思う。

神林長平はそれを『膚の下』でやった。