基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

小説におけるデザイン

デザインというのも人によって捉え方の違う言葉だけれども、僕が使うにあたってはたいてい「設計」と同じような意味で使っている。ある小説作品にたいして「デザインがいいねえ」と書いたとしたら、それは設計がいいねえ、ということだ。そもそも小説における設計とは何かといえば、まあそれは何を目的としているかによって変わってくる。100年後にも読まれる作品にしようと思えば、用語から人物造型まで恐らく宇宙旅行が当たり前になり寿命も大幅に生きている人間が、現在の人類と同様に持っているはずの悩みなどといった普遍性を持った内容を盛り込んで設計されねばならないだろう。

1年かそこら売れればいい、あるいはその発売した瞬間の出足だけ売れればというデザインであれば、たとえばライトノベルであれば出版当時流行っているだけの、1年もブームが続かないようなことをギャグとして取り上げてもいいだろう。そういった刹那的な作品はいっぱいある。アニメ化を狙った設計もあるだろうし、あるいは自身のこれまでの作品を考えて「すべての作品でまったく違った作風を志す」、つまりは自分の文章をシリーズを超えて読んでくれている読者を飽きさせない為の工夫もまたデザインである。まあ最も重要視されるのは「どれだけ売れるのを狙っているのか」っていう設計かもね。

小説に限らず文章術の本にはたいてい書いてある「たったひとりの読者をイメージして書け」っていうのはようするに戦略目的を決定しろという意味で、戦略目的が決定したらあとは細かい戦術というのは自動的に決定されていくものなのだ。1万人に売りたいのだったらマイナで、ただし熱狂的なファンがいるところに投げ込めばいい。100万人に売ろうと思ったらまあまずはガチガチのハードSFはやめたほうがいいだろう、と「どこに、どれだけのユーザを見込んで小説をつくるのか」というのはテーマやキャラクタ、文体まで含めたその作品を根底のところから決定する。つまるところこれは何も小説に限った話ではないが、デザインとは目的を達成する為の戦略にあたる。だからこそ小説について何かを書くときに、そうしたデザインが何なのかを見ている文章を読むのが僕は好きだ。

一方で100万人相手にするのを狙ったデザインになっている作品にたいして「○○という要素がない」みたいなことをいったところであまり意味があることとも思えないし、1万人に向けたマイナな作品にたいしてメジャー的な要素がないからといって腹をたてたところでしかたがないだろう。作風をがらっと変えてきた作家にたいして前の作風がよかったといったところで詮ないことである、とデザインから作品をみることによっていくらか視点も変わってくるだろう。