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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

不運と幸運?

不運だ、不運だ、と嘆いている人の話をよくきいてみると単なる準備不足であったり、明らかに間違った努力をずっと続けた結果何の成果も得られずに「不運だ」と言っていることが多い。バスケがうまくなりたい、と言っているのになぜかバスケットボールをいろんな種類集めてます、でも全然うまくならないんです、みたいなことを言ったって、そりゃあ不運とか幸運とか関係なしに無理ですよ、無理、今までやってきたのはいっちゃあなんですけど無駄な賭けってやつですよ。みたいに突き放していえればいいのだけど面と向かって悲しそうに言われると随分言いにくい。

不運といえるのは最大限努力をした上でもうまくいくかどうかわからない、そういった状況へあえて賭けて、それでもダメだった時のことだろう。絶対に遅れられない待ち合わせが9時スタートだとして、8時前に着くようにいけばまあ電車遅延とか車に轢かれそうなおばあさんを助けていたりしても大丈夫だろうと思って出かけたら電車がテロにあって……みたいな。これは極端な例だけどいくらでも似たような状況はある。だいたい準備に時間をかけたりあらゆる場面を想定していればなんとかなることも多いが、そうまでしなければならないことはめったにないし、宇宙船を打ち上げる時なんかは莫大な時間とディスカッションを重ねてあらゆる場面を想定して打ち上げに望むが、それでも天気が悪かったりしたらどうしようもない。かけるコストとそこから得られる利益のバランスの問題、というだけの話だろう。

ただ「それが本当に不運なのかどうか」については充分に検討しなければならないだろうけれど、これが難しい。最初にあげた例だって人のことだからあれこれよく見えるけれど自分のことになると見えなくなってしまうこともある。カート・ヴォネガットスローターハウス5にはこんな言葉があったが『神よ願わくばわたくしに変えることのできない物事を受けいれる落ち着きと変えることのできる物事を変える勇気とその違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ』、「いまがどんな状況なのか」を見極められなければ勇気があろうが落ち着きがあろうが無意味だ。