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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

おわらせかた

どんなことにもいえることだが、ブログなんてものはいつ何時終わるかわからないものだ。僕が書いているブログだってそうだ。死ぬかもしれないし、やっていた目的が達成されたりそもそも見込みがなくなったり、外部の圧力で閉鎖させられたりして、それで終わり程度のものだ。生活に絶対必要なんてものじゃない。ブログを書く利点をことさら宣伝する人たちがいるが、あんなものは続けている人間の戯言でしかない。「ブログをやることが生活に組み込まれ長く続く人もいれば、無理な人もいる」というだけの話である、というのは今まで何度も書いてきたとおり。

さいきん僕もブログの終わらせ方を考えるようになった。具体的にいつにやめるとか、やめようと思っているわけではないけれど。いつやめてもやり残したことがないように準備だけはしておこうという気分。別に誰に強制されているわけでもないから気軽なものだけど、一度それが習慣付いてしまうと、今度は逆におしまいにするのが難しかったりする。仕事において採算のとれない事業を終わらせ、うだつのあがらない社員を切り、不必要な規則やイベントをなかなか減らすことが出来ないように。正直言ってこれからは拡大の時代ではない。たとえば今はもうベストセラーを狙う時代ではないのだ。よりコアな、細分化された顧客にむけて提供側も自身を最適化させていくときである、と思う。

どこの会社をみても、国レベルでみても「人を増やそう」という発想が根底にあるように見える。発展させ、より多くのお金を動かしたり、多くの物事に関わっていくのが無条件で善であるかのように行動している。人数が無限に増えていくのが絶対的に善なのか? 増やすだけ増やして、あとの人間は宇宙で生活していくなんてことが本当にリアリティがあるのか? まったくないと思う。なぜどんどんやることを小さくし、事業を小さくしていく方向に進まないのだろう? と疑問に思う。もうマスへ向けて何かを発信していく時代ではない。マイナな要素の集合に向かっている。少子化は本当に解決しなければいけない問題なのか? なぜダウンサイズするという発想がわかないんだろう? 明らかに子供を今から増やすよりかは、少子化の社会にシステムを適応させていくほうが楽だろう。環境破壊も人間が減るだけでぐっと抑えられる。

何かを新しく始めるより、何かをやめるという発想の方が実質的に役に立つことがよくみられる。英語の勉強をしたいんです、たくさん本が読みたいんです、仕事が先まであるか不安なんです、仕事ができないんです、勉強ができないんです、といった問題には「テレビを見るのをやめましょう、人付き合いをやめましょう、目的としていること以外のすべてをやめましょう」といった「やめる」手法で解決できることが多い。自己啓発書や手法の本が教えてくるのは、この忙しい生活の中でいかにして効率的にやるか、といったことばかりだ。人付き合いをやめるだけで出来るようになることがいくらあるか、考えたことがあるだろうか?