基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

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Twitterで次のようにつぶやいた。SFを読んでてがっかりするポイントはいくつかあるけど(エイリアンの形が哺乳類ベースだったり)あまりにも人間的なAIが出てくるパターンはもっともがっかり度が高い。最終的に人間的な感覚を手に入れたりそれをまるでハッピーエンドかのように書かれるとどんだけ人間至上主義者なのだと思う。人間が読むんだから仕方ないとは思う。たとえばSiriを非人間的にしろ、っていうわけじゃあない。まったく別の存在のはずなのにわざわざ人間の方に引きつけて「感情を持たないアンドロイドのはずなのに涙を流している…」みたいな展開が嫌いなだけなのだ。泣くのはそんなに高尚で素晴らしい機能か?

ずっと思っていたことを適当に書いただけなのだが、圧縮しすぎていて全然言い尽せていないのでここで少し膨らませておこう。AIの描かれ方にもパターンがいくつもあって、僕が上記でいったものの中にもいくらでも許容できるものがある。そうそう単純化できるものではない。Siriを非人間的にしろ、と言っているわけではない、と書いたのは、AIを相手にするのが結局のところ人間である以上表出する応答や容姿といった部分が人間的であってもまったく違和感はない、ということが言いたかった。実際AIが出てくるパターンとして一番多いのは人間の補佐役として、特にその内面が描かれることもなく人間的な振る舞いをするときだろう。

びっくりしてしまうのはAIの一人称視点で話を書いてしまう作家がいることで、これは違和感しかない。本来人間性が必要ないところに人間性を勝手に差し入れているわけで、「語り」に疑問が湧くと物語の根幹が台無しになってしまうと感じる。逆にそうした区別がきっぱりし、相互のあり方を書き分けることの出来る作家の作品というのは大好きだ。神林長平の『膚の下』は人造人間が、人間とは違った人造人間ならではの人生を歩むまでの物語だし、人間、機械人、人造人間とそれぞれの違った種による考え方の違いが徹底して描かれている。どうしたって人間からはその内面を理解し切ることのできない、追いつくことのできない思考速度を持ったAIとどのように付き合っていけばいいのかを徹底した書いた作品としての長谷敏司BEATLESS』もまた傑作である。