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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

Google、歩行ロボットのボストン・ダイナミックスを買収。四脚BigDog やヒト型Atlas の開発元 - Engadget Japanese

数日前にSF化しつつある現代についてちょっとだけ書いたけれど(特にGoogleレイ・カーツワイルについて)今朝起きたらこんなニュースが話題になっていてちょっと笑った。いや、ほんと現代はSFの時代だと思いますね。

抑圧されたものはどこへいくのか

僕はブログのコメント欄をあけたままにしているのだけど、それは別にどんなにひどいこと書かれようがまったく気にならないだ。しかし考えてみれば、ブログに罵倒コメントを書くような人はそれだけの衝動を記事を読んだ時に持ったからこそわざわざ書きこむわけだ。もしその衝動が湧いてきた時にコメント欄が閉じていたらその衝動は一体全体どこへいってしまうんだろうなと思うことがある。まあべつにそんなたいした衝動じゃないからコメント欄がなかったら蒸発しちゃうのか、あるいはツイッターだとか掲示板に書き込むのかと場所が変わるだけなのかもしれないけれど。

しかし個人じゃなくても、社会的な観点でみて抑圧されたものって結局何処か別のところで、別の形として出てくるもんなんかなあ。と至道流星さんの本日時点での最新記事を読んでいて思ったりしました。⇒SIDOU.net » 漫画や新刊など まあ出てくるんだろうなあ。厳然としてあるんだから。抑圧されていない状況なんてそもそもないしなあ。女性は女性という役割に束縛されている。働いて金を稼ぎたい、子供なんか欲しくないのに「子供は? いつまで仕事なんてするの??」と抑圧を周りから受け続けることがある。同時に男性は男性という役割に束縛されているし。

年齢、立場による抑圧だって相当なものだ。「だから抑圧されるのなんて当然だ」という話でもなくそうした「支配」をひとつひとつ消していく工程こそが「豊かになる」プロセスの一側面なのかもしれないなと考えた次第。かといって抑圧、支配といったものが完全になくなったら人間どうなるんだろうねえ。