基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

上司と部下

仕事のことを書いたついでにしばらく考えていた上司と部下のことでも書いておこう。

上司の悪口を見かける機会が多いのは上司がすべからく無能であるということではなくて、誰しも自分の行動を他人に制御されるのが不愉快であるということだろうな。ユーザ、客にたいしては実利をもらうんけであり制御を受けることへの対価がハッキリしているが上司だとそれが見えにくい。もっとも現場の人として優れていた為に昇進していって、最終的に開発や現場のコントロール能力を評価されていたはずなのに経営者や単位の大きなマネージャになってしまい、その能力の本分が発揮されない(そしてそれ故にその立場でずっと燻り続ける)という上司が無能の吹き溜まりになる理屈もある。本当にいいのは有能な人間は役職を変えることでステップアップさせるのではなく、単純に給料を上げればいいだけの話なのだがなぜかそうなっていない。技術屋は技術屋として評価されればいいのであってマネージャにしたら能力を大きく減反させるだけだ。

さあ、そして上司の側から部下をみれば、こちらは部下に指示をとばし行動を起こしてもらわねばならない。たとえばいくらでも部下のいうことを聞いてやり、ぐだぐだした仕事でも許してやるような上司が良い上司かといえばそうでもない。業績はあがらず、そもそも仕事自体が
なくなってしまう。その現場が潰れた時にあまりに何も技能を積み重ねていなければ次にいけないかもしれない。厳しく、部下の能力を最大限発揮させようとするタイプの上司は部下が一時的な目で見れば「クソ上司」になるかもしれないが、長い目でみれば良い上司であることもありえる。部下に働いてもらわねば自身の評価につながらない、が命令するばっかりでは部下がついてこない、となれば上司がとる一つの最適解は「命令をしているとバレないように部下の行動を制御する」ことである。ようは適当な人参をぶら下げるなりなんなりして、相手をだまくらかして自発的にやらせるのだ。これが出来ないと様々な問題が持ち上がってくる。

しかし本来ならば部下の行動については上司が責任を負わなければならないのだ。そしてその当然の帰結として、部下は上司の責任を問わねばならぬ。組織という大きな構造の中で、ある一点の間違いが起こったとする。たとえばバルブを閉め忘れたおかげで放射能がもれたでもなんでもいいが。締め忘れた人間にすべての責任がいくのかといえばそんなことがあるはずがない。一人の人間のミスによって重大な問題に発展してしまう構造の問題であるし、そこを防げなかった上司の問題でもある。なんでもいいが部下の立場として自身の失敗はまず失敗を可能にしてしまった仕組みしか作れなかった無能な上司に問うべきなのだ。

ところが部下が上司の責任を問うなんてことができるところがどれだけあるんだろう? そんな構造がそもそも存在しない。上司もそもそも責任をとろうとしない。「いかにして責任を逃れるか」の伏線張りに終始して、ようするにできるかぎり作業をしないようにする。そんなやつらがそこら中にのさばっていて、だから何にも機能しない。「ここは自分が責任をとってみるのだ」と踏ん張る人間がいなければどこにもいけない。