基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

本棚がすきじゃない話+他二編

僕は割合読書好きな人間だと思うが本棚は好きじゃない。だから本棚を持って入るものの、半分以上は書類が入っていたりする。すかすかである。本棚は読むことの合理性を考えると、非効率だと思う。一番情報量の多い表紙が完全に隠れてしまっている以上デザイン的に死んでいるし、奥と手前で2列にして入れたりすると後ろの本を見るのに前の本を取り出さないといけない。目的の本を探すときに一回一回手前に入っている本を出し入れして、これはあまりに非効率だと思いその時から本棚をぎゅうぎゅうにするのをやめた。一番いいのは棚みたいなところに好きな本だけ表紙が見えるようにおいて、あとは横に積んでいくのがいいと思う。がさがさと探さなきゃいけないほど本が家中に散乱しているのが大嫌いなので本は常に300冊以下しか家に存在しない。

今まで読んできた中でもっとも好きな短編はナイン・ストーリーズに収録されている『エズメのために』で、次点で飛浩隆さんの『ラギッド・ガール』だなあとか考えながら自転車を漕いでいた。なぜ突然そんなことを考え始めたのかといえば、村上春樹訳のフラニーとズーイーが出るらしいという噂をTwitterで見かけたからだった。訳などはいくつもあっていいものなので、新しく出るのはめでたい。今となっては原文で読めるのだし。ただサリンジャーの作品は契約の問題からか電子で手に入れることができないので、サリンジャー作品だけはペーパーバックで持っている。しかし原文で改めて読んでみると、訳文への思い入れが強すぎて違和感があるとこが出てきたりする。エズメであればキ、ノ、ウだかキ──ノ──ウだったか忘れたが、そんなように記載されていた印象的なところが途切れ途切れのfacilityだったところとかね。そうかあ…… facilityかあ……なんかイメージが違うなあ……。

ラギッド・ガールは、凄い、としかいえない。現実には存在しないであろう凄すぎるものとガッツリ組み合ってなんとか描写としてそれを他者に伝達可能で成立することができたという凄いものを凄い方法で凄いまま書ききった短編なのだがこれだけじゃ何を言っているのかさっぱりわからないですね。ええ、そうです。飛浩隆は天才なのですよ。象られた力とかね。『短篇集』で一番すごいのは何かと言われればやっぱりナイン・ストーリーズをあげてしまうけれど、日本からなら間違いなくこの『象られた力』が凄い。あまりに切れ味が鋭いので読んだまま殺されるかと思うような文章を書く。天才の描写として極北だと思うのは森博嗣さんの『四季』ですが、このラギッド・ガールは短編でその域に達していると思う。

他二編と書くとなんか古典のエッセイみたいな感じになる。どうでもいいんだけど。吉川英治の宮本武蔵を青空文庫で読み終えて、そのあと吉川英治が書いた宮本武蔵についての背景エッセイみたいなのを読んでいる。これ、小説に限らずひとつの作品を作り上げる過程できっと膨大な背景情報が創り手の中には蓄積されているはずで、それが滅多に表に出てこないのはもったいないなといつも思う。たとえばアニメ作品なんか背景情報の塊みたいなものだろう(この場合の背景は人物のうしろの風景的な意味合いではない)。膨大なレイアウトに膨大なIfストーリー、とられなかった選択肢の数々。ハリウッド映画では実際にユーザに届く前に検討用として何パターンかエンディングを取り揃えることがわりとあるらしいですが、そういうのも滅多に収録されない。

資料集やムック本なんかがあるじゃないかとお思いになるかもしれないですが、あれ、なんであんなに情報量が少なくなっちゃうんだろう、ってぐらい残りカスみたいなものばかりで。もちろん全部を見たわけじゃないので「これは凄い」というものがあればいいんですけど(今まで観てきた中では押井守さんのMETHODSがずば抜けているぐらい)。映画のパンフレットとかも不満不満! もっと裏情報がたくさんみたいのです。だって出さないとどうせどっかの倉庫のこやしになるだけなんだから。