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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

テーマの切り分け方について

テーマテーマとよく使っているけれど、実際これは読む側にとってみればどうでもいいことではある。小説作品のテーマで読むものを決める人間もそうそういないだろうし。じゃあなぜテーマなどというものがあるのかといえば、創る側の事情であろう。細かくプロットを決めるもの、決めないもの、設定を決めるもの、決めないもの、いろいろいるだろうが、ぼんやりとした「方向性」「こういうものにしよう」というものがなかったらどこにも向かえない。テーマというのはそういった方向性をつけるものであると僕はぼんやりと定義している。で、それをただ楽しむだけならテーマなんてどうでもいいのだが、いざ人に説明するとなるとそうした方向性があると説明しやすいのでついつい「この作品のテーマは〜」といってしまう。テーマがどうとかいうのは作品の面白さとの関連性が強くないから、よくないとは思いつつも説明に便利だから使ってしまう。

のうりんの最新刊と銀の匙の最新刊を読んでいたら同じ農業を扱っていてもずいぶん切り取っている場所が違うなと思って、テーマの切り分け方について考えていた。まあこの場合はテーマというか題材だけど、似たようなものだ。銀の匙は相変わらず漫画がうめえなあと思う出来で一つ一つの描写の意図がクリアで面白い(こういう漫画のコマの動きと絵の演出とかいくらでも細かく語れるだろうなあ。語ろうと思えば。)。この作品で驚いたのって、途中で経済の問題にまで踏み込んでいたことなのだよね。銀の匙は農業高校に都会からやってきたガリ勉君が農業のつらさと素晴らしさを実体験していく話。

で、どこまで踏み込んでいくのかなあというのが先ず最初の切り分け方としてあると思うわけですね。きゃっきゃうふふで農業って愉しいねがやりたいだけならなんか働いた後の満足感とか飯の旨さとか書いておけばイイ。大変なところまで書くなら朝何時起き、動物を世話をすることの大変さ、もっと踏み込むなら使い物にならなくなった家畜がどんどん削除されていく様子、あるいは経済動物として極限まで効率化されて「肉のために産まれて肉のために死ぬ」動物を徹底的に書いてもいい。そういう「肉処理」とか「家畜」の問題ぐらいで終わるんだろうと思っていたら、農家が潰れるとどうなるのか、実は多くの農家が借金こさえているだとか、農家の娘息子が自然と継ぐことを期待されているとか、あんまり楽しくない「金勘定」の部分まで描写しだすたので驚いたのだ。

農業に限った話ではなく「扱う題材についてどこまで踏み込むのか」というのは最初からある程度設計しておかないとバランスが悪くなるよなあと思った。思えば鋼の錬金術師もちょうど1巻目は割合のほほんとした冒険物みたいな体裁で始まったが、2巻目の1話目で強烈な「これはこういうところまで踏み込んでいく話なんだぞ」というボディーブローがかまされてて、あの時から荒川弘さんの作品には驚かされることばかりだ。