基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

図書館について

Tumblrをぼけーと見てたらこんな記事が流れてきた。
NHK「クローズアップ現代」に対する図書館の見解/町田市ホームページ

作家や出版社側は、図書館で貸し出されなければ、その分購入する人々が増えるはずだと主張していますが、果たしてそうでしょうか。図書館で借りられるからこそ読んでみるという利用者はとても多いのです。また、図書館で読んでみてから購入するかどうかを決めるという利用者もいます。つまり、本当に手元に置いておきたい本なら、図書館があってもなくても市民は自分で購入するのです。図書館が積極的に本を貸し出すことによって、活字に親しむ層が増え、結果的に本が売れるようになるということはあり得ても、図書館が本の貸し出しを規制すれば本が売れるようになるなどというのは、まったくの幻想にすぎません。

2年前の記事でなぜいまさら流れてきたんだろう。が、それはまあおいといて、この主張自体に、僕はまったく賛同しない。大きな論点としては「著作権の概念に明らかに違反していることについて」とか「本当に図書館で貸し出されなければ本が売れるようにならないのか?(数字での根拠がゼロで、ただ言っているだけ。)」があるだろう。ベストセラーがーなどというのはテレビで過剰に取り上げられたので反応しているだけで、こんなことは大した問題ではない。引用部の理屈なんかニコニコ動画でアニメが無法地帯だった時にそれを擁護していた人間が言っていた理屈とまるで同じだ。今では両者は歩み寄りを見せてきちんと「公式」で提携がとられている。図書館がその道を目指さない理由はないだろう(現状、ある意味では既に合意が取られている状況なんだろうけど)。

そして前者の著作権の概念からいえば図書館が無料で貸し出すというのはまるで理屈が通っていない。もちろん意義が大きいことであることは確かだ。公共貸与権のような形で金を払う事が現実的でないことも、もちろん理解できる。だが上記のような図書館の立場でも、「新刊は1年は入れない」といった少しでも緩衝させるようなルールがいくらでもできるはずなのに、それがないというのはどうにも態度がでかすぎるんじゃないかと思う。ただこれはあくまでも「著作権においてどうか」という話であって、「読者が増える」「いや減る!」という論とはまるで無関係である。そっちはなんらかの数字がないとわからん。

で、それだけだったらわざわざ書かない。驚いたのは、この町田図書館が、僕が多くの時間を費やした図書館であったことだ。20年近くを僕は町田市で過ごし、その間ずっと町田図書館にはお世話になり続けた。毎回10冊の限度まで借り、予約の20冊の枠もすべて使い切り、そしてその「町田図書館」という空間でずっと本を読んでいた。椅子が各所にあり、畳の部屋まであり、カフェでは電源の使えるスペースがある。本が揃っているだけではない。とても居心地のいい空間で、今でも町田図書館を超える品揃えの図書館には出くわしたことがない。本当に、読みたい本はすべて揃っていた。本の並び、動線はとてもよく考えられており、コーナーの変更は早く、人気、新刊の棚は常に変動しており、動的な図書館だった。

神のような図書館なのだ。それはもう町田市から引っ越してしまった今も変わっていない。だから、賛同できないなんてのはまるで別の話として、凄く感謝している。今の僕は町田図書館なくては存在しなかったのだし。だから引用部における『図書館が積極的に本を貸し出すことによって、活字に親しむ層が増え、結果的に本が売れるようになるということはあり得ても、図書館が本の貸し出しを規制すれば本が売れるようになるなどというのは、まったくの幻想にすぎません。』という部分はまさに僕のことでもある。町田図書館に育てられたといっても過言ではない。

町田図書館では、三千冊を超える本を読んだと思う。金がなく、親に買ってもらえるわけでもない子供時代の読書欲に応じるためには、読みたい本がなんでも揃っている、町田図書館でなくてはならなかった。もし読みたい本が図書館になかったらあるいは読書をやめていたかもしれないし、それ以上の可能性として万引き犯になっていたと思う。賛同できないといいながらも、実体験としては賛同せざるを得ない。町田図書館にはそれぐらい個人の形成に影響を与えられてきたのだから。