基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

世代間の断絶

以下の文章は主観ばりばり、僕の半径50メートル以内ぐらいを観察していっていることであり普遍性を求めても仕方がない。

若者にコミュニケーション能力が求められる理由は実際にそれが今重要だからだけどじゃあなぜ重要なのかといえば世代間における価値観の断絶がひどすぎるからだと思うんだよね。40代と20代じゃ価値観が違いすぎる。そう書くといや俺は違うとか言う人がいっぱいいるんだけど、そりゃ個別に見ていきゃ違う人なんていくらでもいるさね。これは主に僕が経験した断絶とその断絶を埋める努力を若者ばっかりに求められる場合があることへの話だ。

価値観なんて言葉で軽く言ってるけどこれあいまいな言葉で使いづらいなあ。それはアニメを見ているとかいないとかの共通した趣味があるないといった価値観の話じゃなくて。ここではある対象毎に対する考え方の違いをここでは価値観ということにしよう。世の中ってもんを細々と分裂させていったときにそれにたいする考え方の違いがあるわけじゃないですか。それがつまり価値観の違いだ。金にたいする考えとかさ。僕は自分ひとりが幸せになる金額があればとりあえずいいからそんなにたくさんの金なんか求めていない。むしろ働けば働くだけ遊び時間が減るからそんなのいやだ。まずそこからして考えが合わない。稼げるなら稼げるだけいいと考える人がいたらその人は僕とは価値観が違うということになる。

でもそんな価値観の違いなんてありふれてることなので本来なら問題になるようなことじゃない。金に対する考え方が違う? ふーんお互い好き勝手に好きな量稼げば? で終わるから。問題になるのはどちらかが相手の価値観を認められない、違いを認識できていない場合でそれが軋轢の元になる。そもそも違いを認識できていないからあいつのことがわからない、わからないぐらいならまだいいけどあいつはバカだと言い出すから話がややこしくなる。そして僕の身の回りの狭い例を見ていて思うのはその断裂をある一定以上の年齢層の人たちは乗り越えられていないし、乗り越えようとも思っていない。お互いが離れたところにいて片方が動く気がないのだったらその両者の間にコミュニケーションを成立させようと思ったら動く気がない方とは別の人間がアクションを起こさないと断絶が起こったままだ。

一定の年齢以上の人間がやたらと若者にコミュニケーション能力を求めるのはようするに「お前らからこっちとの溝を埋める努力をしろ」ということでクソッタレな怠慢に他ならない。溝を埋めろったって相手は自分の行動を改める気なんかないしそもそもうん十年かけて堆積してきた考え方を変える労力を費やすはずもなくそこには延々とコミュニケーションコスト、価値観のこすり合わせ作業が発生することになる。

どうしたらいいんだろう? と会社に入ってその断絶があることに気がついてから考えた。一つはそうした世代間の断絶は時間が解決してくれるから待とうということだ。ようはいなくなってくれればいいんだから。30代になると断絶もどんどん薄らいでいくし、数が少ないとはいえ若者はがんがん流入してくるのだから多数派が逆転してくる。流れはすごい勢いで変わりつつあるので、ここに書いたような「断絶」を感じることは日々少なくなっている。

もう一つは対話だろう。自分の考えをただ言うだけでなく相手に誠心誠意時間と言葉を尽くしてかたるのだ。ただこれがうまくいかないからこんなことを書くはめになる。「私は犬が好きです。」「そうですか、私は犬が嫌いです。」で終わればいいのに「なぜお前は犬が嫌いなんだ」と、至極単純化して自分の価値観を人に押し付けようとするから対話なんてうまくいくはずがない。

3つめに文化自体を変えてしまう方法がある。ルールをしくでもいいし大勢に働きかけるでもいいがそれも大変なエネルギを消費するだろう。4つめはそんなところからはさっさとおさらばすることだ。馬鹿馬鹿しいのはそんな状況でずっと耐えていることで、なんらかの解決法を求めた方が精神の安定にもいいと思う。