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自分の好きな作品は認められてほしい?

第34回日本SF大賞選考の夜 - Togetterまとめ

なかなかおもしろかった。ただの観客が賞に異論があるという発想がまず面白いですね。特に数人の選考委員が選ぶだけなんですから何が選ばれようが、ああこの人達はそれを選んだのねでどうだっていいことでしょうと思ってしまっていた。賞に選ばれなかったからといって僕が面白かった作品がつまらなくなるわけでもないのですから。いや、スポーツ競技とかならまだしもわかりますよ。厳密な採点ルールが決められていて「おかしくね?」という。でもこれ、小説の賞ですからね。

賞というのは「与えられた作品」に価値が付与される面もあれ、その価値自体は「その賞がどんな作品を選んできたか」がまた蓄積させていくものです。「何を選んできたか」で賞の格が決まる。厳密な基準がもうけられていない小説という世界での賞はいうなれば観客がどうこうするというよりかは、間違った選択をしていけば勝手に「賞自体」の価値が減じていって勝手に消滅していくものです。直木賞芥川賞なんて風前の灯火ですよ。もう誰が気にしているんだってレベル。

しかし「自分が価値を感じる作品は多くの人に認められてほしい」という欲望は、やっぱりあるのだなあと思いますね。似たようなところは、僕にも少なからずあります。『オービタルクラウド』とかだいぶ面白かったから宇宙開発とかに興味を持っている人のところまでは少なくとも届いてほしいな、と思うもの。でもそれを「自分が得た価値を多くの人と共感したい」とは思わない。興味のある層に届いて読み始めるところまではせめてお手伝いしたいけど、その後どう感じたかなんて干渉不可能ですし興味がありません。

僕は読み終えた時にその作品に対する自分なりの評価を定め、人が何を言おうが変わりませんよ。読んだあと愉しかったことを人とわかちあいたいが為に読んでいるのではなく、読んでいて自分が愉しいから読んでいるのです。自分が愉しかった、でそこで完結しているか、否かの違いなのかなと思いますね。自分が愉しかった、こことそこに価値を感じる。他作品と比べてもその価値は突出している。ゆえに世間的にも認められてほしい、というのは、気持ち的にわからんでもないですが暴走でしょう。

やってちょっとは意味があるかな、と思えるのはいろんな価値判断基準で作品を様々な側面から捉え直すことでしょうか。たとえば日本SF大賞という賞は、公式サイトの概要に書かれている『日本SF作家クラブはSFを専業とするものの責任において、各年度における最もすぐれた業績を選び出し、これを『日本SF大賞』の形で表彰する」』だけかと思っていたらまとめを読むと牧さんは『「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」や「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」という賞の趣旨』といっていて僕の知らない選考基準があったようだし。

もっとも長い作品という評価軸があってもいいし、出来はともかくとしてもっとも人の心を動かした作品、でもいいし、ようは評価軸なんかいくらでも生み出せてそのたびごとに優れた作品であれば違った面をみせるものです。そういう作品ごとの豊穣さをあらわにしていける状況が賞、もしくは賞の周辺で起こっていくとちょっと面白いなと思いますね。興味ないけど。

つながってはいるけど全く別件としては、どの賞もだいたい「出版年」を基準にやるので、受賞作が単行本ばっかりが候補になるのがいつも残念だなと思う。今回はNOVAがあるか。最高の宣伝チャンスなのに「文庫しか買わない」層に届くのはその数年後ですよ。だいたい出版側の人間でかなり感覚がズレているとおもうのは「良い本は単行本でだそう」みたいな意味の分からない価値観があること。単行本で出して喜ぶのなんて極端に少ない一部の好事家と印税がパーセンテージ計算からすると文庫の何倍も入ってくる著者と単行本を出す部署だけですよ。

最初からそれなら文庫本と一部の好事家に向けた豪華単行本でも二種類同時に出せばいいでしょう? 二種類も出せないっていうんだったら最初から文庫で出せば。それができない、やらないっていうのはたんに単行本を作っている部署があるからとかいうくだらない理由だと推察していますが、それ以上にもっと理屈の通ったちゃんとした理由があるんでしょうか? 正直言って今の文庫本は安すぎるぐらいだと思う。文庫本のほうが高機能だから単行本より高くしてもらってもいいぐらいだ。