基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ストライク・ザ・ブラッド

3巻まで読んで、キツくていったん読むのをやめていたのだけどなんとなくまた続きを読みだした。

キツくて、というのはこの場合、ハーレム展開だとか、主人公の鈍感さに対してだとか、そういうものが三雲岳斗にしてはよくわからないが無造作に放り込まれていることにたいしてだった。どうも、疲れちゃうんだよな。「パターンが全部同じだ」なんて横暴なことをいうつもりはないんだけど、主人公がだいたいにおいて非の打ち所のない超人であり、その周りを好意を持った女の子が埋め尽くしていくというのは、一つ二つならまだしいものの、十個も二十個もそうしたものを読み続けていくのは、いかにプロの技だといっても、陸上競技で100メートル走だけが延々と24時間やっていたらさすがに最初の数時間で疲れてしまうように、キツいものがある。

書く側もどう思いながらやっているんだろうな、とついつい考えだしてしまう。「態勢を崩して胸をつかんでしまう」みたいなシーンって、読むほうがうんざりする以上に書く方も「マジでこんなもの書かないといけないのかよ……」とならないのだろうか。まあでも、どれひとつ取り上げたって同一のラッキースケベがないように、書く側もいくらでも創意工夫はおしこめるし、そもそもお仕事だしなあ。そういう意味では三雲岳斗さんはプロフェッショナルな仕事をしている。四巻では問題の発生(空間のランダムな転移、次元の歪み)がそのままラッキースケベに直結していてラッキースケベ⇒問題の発覚、追究につながっていてまるで無意味というわけでもない。

入り口として、表面的な事象としてはハーレム物の体裁をとっているけれどもその中のロジックや舞台はハードというのは、なんだか昔のSF作家がSFだと公称していると書かせてもらえないので、別のものを書くふりをして中身は自分の好きなモノを押し込む、みたいな話を思い出してしまう。たまに自分の書く作品が売れねえ……と嘆いている作家がいるけれど、あまりにマイナ向けの作品を書いている人だったりする。そんなマイナな作品を自分から進んで書いておきながら、売れねえって嘆くなんておかしいよな、自分が好きで選択してるのに、とむしろ否定的に捉えているので、三雲岳斗さんのような売文エンタテイメント屋としてのスタイルは好きだな。

たとえば小説で読んでいるだけだとあまり意識されることもないがこのストライク・ザ・ブラッドの舞台は太平洋上に浮かぶ人間の手によってつくられた人工島だ。五十六万人もの人間が棲む人工島というと随分と荒唐無稽なお話のような気がしているが、現実に存在する技術としての「メガフロート」を使ったものだという前提がある。これは人口の浮島をつくって空港や軍事施設にしようという現実の計画にものっとっている。三雲岳斗さんは26歳だった時に作家になろうと思い、今の仕事のままでは執筆にとれる時間が少ないことからより時間の自由のきく仕事に転職した。時間の自由があれば書く時間もとれるし、小説の応募は毎年受け付けているから、職を安定させて書き続けていれば技術も向上していつかは作家になれるだろう、という非常に現実的な考え方をして実際に作家になった人だ。

やりがいだとか夢だとか根性だとかで創作を語る人よりも、生活の手段として作家を選んだストイックな作家たちのスタイルが僕はとても好きだ。我々は空想を文章にしてお金をもらっている、お金をもらっている以上そこにはそれだけの価値をこめよう、そしてお金を儲けることが主題である以上、自身の目的とする層へ狙いを定め、そして一定の望む効果を得よう、作家を純粋に職業として捉えている作家にはそうしたある種の「わかりやすさ」がある。そうした一貫性をもったプロとしての仕事は、多かれ少なかれ読むべきものがあるものだ。