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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ヴォイド・シェイパシリーズについて

来週あたりにいったんまとめ記事でも書こうかと思っているので、その思いつきメモみたいなものを残しておこう。

・明らかに日本の近世を書いていると思うのだが、そうした時代背景が一切明らかにされないのが面白い。「何時代か」といったことをことさら強調されることもなく、極々自然に登場人物はその世界を生きていて、それがまあ当たり前の感覚なのだろうなと読んでいると思わせられる。僕等も今いるところを「平成だ」とは思っていてもそれは「当たり前」のことであって時代的なものなど感じないように、当時の人達、それも庶民の感覚だと「ただ目の前のタスクを消化し、日々を生きる」ことが主軸であっただろう。へんに「時代性」みたいなものが入ってこないことでむしろ生活への目線がべったりと庶民の視点が提供されているように思う。もちろんゼンの立場からして庶民目線だけでは今後はなくなってくるのだろうけれども。

・面白いのが、森博嗣さんの小説は章ごとに引用文が書かれていることが多いのだが、本書で扱う本はどれも「武士道」とか「葉隠」のように日本の古典に位置する本なのだが、その引用文はどれも英訳版からとられている。これはたぶん外から見た日本のイメージを指向しているのだろうなと思う。外からみた日本というか、ばりばりの時代小説ではなく客観的な時代小説、という意味ぐらいだが。実際葉隠の文章とか、日本語で読むのと英語で読むのとではえらくイメージが違うんだよね。英語で読むとそこには論理だった真っ直ぐな言葉が浮かび上がってくるのだけど、日本語だと古い言葉遣いということもあってやけに時代性とまたひねりを帯びてくるものだ。

・一個一個考えて考えて必然的にシーンが切り替わっていく。起点としては師匠の死からくる遺言だが、その後の道程は基本的に自分で考えたものであり、その思考は明確に文字として残され、個々の判断まで開示された状態にある。この「考える」というところがまた小説の持ち味としては優位な部分で、一瞬一瞬の斬り合いでもゼンは非常に多くのことを考えて行動にうつしていく。そうした思考の流れとそれがすぐに結果に反映される(ミスれば死ぬ)という緊張感はまた非常におもしろいものだ。