基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

あるジャンルを網羅的にさらうということ

あるジャンルを網羅的にさらっていく、あるジャンルのファンでありあるジャンルばかり読むというのはどうにも本質的なやり方ではないような気がする。

たとえばSFと一言でいってもそこにはビームが出てくるものがあったり特に厳密な理屈なくタイムトラベルをするものがあったり宇宙人が攻めてくるものがあったり意識の有無について問いかけてくるものがあったりロボットが自我を問うてくるものがあったりいろいろあって「SFが好き」と一言で統括できる部分も、重なる部分もたしかにあれその「重なる」部分は大きいわけではない。特にライトノベルなんか秋山瑞人竹井10日を「同じジャンル」としてくくるのはだいぶ無理があって、秋山瑞人ファンが同じライトノベルジャンルだからといって竹井10日作品が楽しめる根拠になどならない。

だからジャンルで縛って読んでいくというのはほとんどの場合、好きでないものにも当たる。当たりまくる。しかし、無理矢理にでも網羅的に読んでいく、つまりは自分にとってつまらない物にたくさんぶち当たっていくと、ある時「読み方」が変わっていることに気がつくことがある。それは要するに「どんなにつまらないものからでも何かを拾い上げる読み方」みたいなものだ。「これはほとんどつまらないけどここだけはいいな……」というような感じ。たまにしか触れないジャンルだとジャンル全体がダメに感じてくるものだが、ジャンルをずっと読んでいくと比較検討ができるようになってきてその分些細な良さみたいなものが浮かびあがってくる。

ブコメの法則性みたいなものを見つけるのでもいいし、主人公の性格類型を見つけて各作品が、そこからどうズレているのかをみるのも楽しくなってくるかもしれないし、タイムトラベルもので新しいパターンだったりするとそれだけで作品の評価とは別に素晴らしいと思うようになる。

駄作まで含めて読まなければならないとなれば、その駄作の中からでもなんらかの意味のあるものを引き上げようとするのが自然というものだろう(時間が完全に無駄だったと思いたくないし)。ジャンルを網羅的にさらっていくことにはそうした効用もある(良いか悪いかは別として)。実はずっと本をたとえに使ってきたけど、頭の中に思い浮かべていたのはワインであった。良いも悪いも一緒くたにして適当に飲み続けていると、「ダメなりにいいところがあるな」という「拾い上げ」の精神が出てくるんだよなあ。

粗を探しながら読むか、粗を残念に思いながら読むか、粗を積極的に無視して読むかという違いだったり、楽しみ方の引き出し数の違いだったりという話に続いていくが、それはまた明日にしよう。