基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

退路を用意しておくということ

4月、新入社員が胸をわくわくどきどきさせながら入社してくる一方僕は退職を願い出てきた。

相手のことを悪く思っていないにも関わらず、相手の不利益になることをしなければならないわけで、なかなか骨が折れる。3年しか働いていないけれど、もうサラリーマン街道をいくのは無理だと判断。業務がどうとかではなく、働く時間を他人に決められること、満員電車に乗ること、スーツを着ること、という当たり前に要求される一つ一つのことを我慢することに対する苦痛が大きすぎるので仕方がない。馬鹿なと思われるかもしれないけれども、もう自分のコントロールを相手に左右され続ける状況には、いくら金を積まれようが耐えられない(月100万もらえるんだったらいいかなあ)。

やめた後はまあしばらく在宅で本業関連の業務をスライドさせて請け負っていく感じになる。本業とは別にこの日の為に用意してきた収入ラインがあと2つあるので、まあそのうちのどれかが実るか、あるいは組み合わせることで普通に暮らしていこうと思う。仮にどれもダメだったとしても、最低限住む場所は確保してあるのでそこを起点にして何かをやっていこう。とにかくもう会社に所属するようなことは今後ない方向でやっていきたい。元々自分の性格的に勤め人なんてものを長く続けられるとも思っていなかったから、独り立ちが可能な技術を習得できるところに就職したし、それ以外の技能も予定通り積み上げてくることが出来た。就職する前から想定していたとおりになっただけだ。

退路を用意しておくというのは、何も仕事に限った話ではなくいかなる場面でも重要だと思う。たとえばその会社にしがみつかなければいけない個人的な理由があった場合、人間関係が最悪だったり我慢できないことをやらされる、言われるなどといった時にどうしたらいいのか。子供がいる、ローンがある、今の収入を減らすことはできないが、それが見込める転職先もない。そうなったら相手の要求や状況を受け入れるほかない。退路を確保しておけば、その場でリスクをとる選択もできる。納得のいかないことに対して声をあげたり、理不尽にたいして抵抗したり。「いつだってやめてやらあ」という気構えでいるからなんだっていえる。

退路など用意できないというのならば覚悟をあらかじめしておくというのも有効だろう。失うものがあり、それを失うわけにはいかないから人は我慢を強いられる。退路を確保するとはその失われたものを別の方法で補填することだが、「失ったっていいさ」とかんがえるのもひとつの手だろう。結婚をしなければいい。子供なんてあらかじめつくらなければいい。広い家に住みたいなんて言う欲望、車がほしいという欲望を捨てればいい。転職のあてがなくても収入が月に10万まで落ちる覚悟さえあればなんだってできる。あるいはホームレスになる覚悟があれば、仕事の面で妥協するることもなくなるだろう。

小説家の三雲岳斗さんは小説家になろうと決めた時に、忙しくて時間のとれない仕事をやめ、給料は下がるが時間を安定して確保できる仕事に切り替え、小説の投稿を続ければいつかは技術力もましてひっかかるだろうと考えたそうだ。このような挑戦(小説家になるなど)には何かしらのリスク(無理かも)が伴うわけであって、安定的な挑戦を可能にする環境作りをしていくことがまず第一に必要だ。この発想があるのとないのとでは、人生の難易度がまったくことなってくる。

未来を想像してそこに向けて準備をすることができるという人間の素敵な能力があるのだから活用しない手はない。