基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ゲイシャ・カラテ・シンカンセン・アンド・ヘル

最近ニンジャスレイヤー第二部のを順番関係なく適当に読んでいるところなのだが、一つ一つの話に対しての書きたいことが多すぎるので試験的に短編ごとに感想を書いていくことにする。風呂で3日に1回ぐらいのペースで一短編を読み終えている。ちなみにというかなんというか、僕はエピソードを本で読んでいるんだけど刊行順に読まず、適当に読んでいるので普通だったら知っているはずのことも知らないことが多々あることは想定に入れて読んでもらえると助かります。

最初は『ゲイシャ・カラテ・シンカンセン・アンド・ヘル』でけっこう好きなエピソード。というのも内面が8割方ニンジャ殺すべしで埋まっているニンジャスレイヤーエピソードよりも、ニンジャスレイヤーを台風の目にしてあの恐るべきニンジャスレイヤー世界観の中で生きている普通の人達の葛藤や命がけの人生についてのエピソードが好きなんだよね。

この短編ではそういう意味で目玉になるのはゲイシャであるユリコで、これが最高にかっこいい。日常的に死が隣にあるこの世界観の中でハードボイルドなゲイシャの生き方を貫き通すのは簡単ではない。彼女の悲惨なこれまでの経歴はさておき、相撲バーでジェノサイドとの会話からすでに後々の展開を見越していて泣ける。ロックな女なのだ。※以後引用はすべてゲイシャ・カラテ・シンカンセン・アンド・ヘル #1 - Togetterまとめ から行っております。

「新幹線か?それとも空路か?」男がテキーラを呷りながら訊いた。「新幹線よ、金もないから」ユリコはトビッコ・ギムレットのようにドライに笑った。「命がけだな」「人生なんて、そんなものでしょ」そう答えつつも、目の前の男が車中で横にいたらどれほど頼もしいものかと、ゲイシャは思うのだった。

そして舞台は新幹線。新幹線でのバトル、いいよねえ。新幹線バトルにおける一般的な有名作、代表作がなんなのかはわからないのだが、個人的に印象深いのは伊坂幸太郎の『マリアビートル』だ。殺し屋たちが新幹線にのりあわせ命がけの駆け引きを繰り広げるお話。ニンジャスレイヤーはニンジャ絶対殺すマンなので駆け引きも何もないが、それでも他に移動することのできない閉鎖空間の中で、一方通行の制限バトルであることが最大の魅力になっている。また「カチグミ」と「マケグミ」が席のグレードとして完全に差別化された身分社会の表現にもなっていたりと、あの直線的な出口のない世界は戦場としても世界の縮図としても魅力的な見取り図になるのだ。

「心臓が悪いんです!カチグミに乗せてください!空席でしょ!?」とサイバーゴス。「車両間移動はできません」72号車のドアの前に立つ鉄道警備員が腕を組み、逞しい上腕二頭筋と警棒で彼らを威圧した。「皆我慢してるんだ!」「お前も我慢しろ!」「ずうずうしいぞ!」他の乗客もゴスを痛烈に批判!

このへんの描写は強調されまくっているが、とりあえず規則を重視し皆が我慢しているんだからお前も我慢しろと迫る同調圧力の強さは思い当たるフシがありすぎてなんだか嫌な気分になってくる。日本人性ばりばり。ニンジャスレイヤーの魅力の一つは、こうした人間の悪性が率直に発揮されているエピソードの数々にあると思う。それは他人を貶めてでも自分がなんとか助かりたいという気持ちであったり、その根源にある「自分本位な考え方」の表現だ。物語の中の「ヒーロー」とは違って、現実では誰もが自分の立場、自分が不利益にならないことを優先的に考え行動している。ヒーローは現実にほとんど存在しないからこそヒーローなのだ。

ところが現実ではそうしたことは目に見えにくくなっている。なぜなら一見して不利益な行為であっても、不利益な行為をわざわざしてみせる、他人の為に自分が不利益を被るといった行動をとることが「利益」になるという複雑な力学が働くからで、利益や不利益の実際値は巧妙に隠されていることが多い。そして現実にはほとんどいないといっても、他者の為自分のことを顧みずに命すら賭けられる人間も存在するのだ。タイタニック号の機関士たちは最後の瞬間まで船の明かりを灯しつづけようと奮闘し、世界貿易センタービルから脱出する最後のエレベーターの場所を若者に譲った老人は「わたしはもうじゅうぶん人生を生きたから」といい、ハートフォードのサーカス火事に居合わせた道化師たちは自分の命を危険にさらして子供たちを救い、ポンペイの灰の下から発掘された女性は、死から自分の子供を守ろうとするようにその体におおいかぶさっていた。

つまり人間は多様だということだ。時に驚異的な、個人の自己利益を超えた力を発揮することがある。しかし人間は基本的に自己利益の為に行動する。これは何度も再現され確認される事象だ。事実ニンジャスレイヤーも、実際は己の果て無き復讐に身を投じるだけの男であり正義でもなんでもない。ただその場その場で見え方がいくらでも変わってくるものであり、ニンジャスレイヤーシリーズにおける「人間の悪性」は「自己利益を優先する物」の別側面の見方として一貫して書かれているがために納得感が高い。

「やります」とダテ。「やります」と少し遅れてスズキ。ユリコは頷いた。何故自分でも、こんなにタフに振舞えるのかわからなかった。惚れた男が、ジェノサイドが近くにいるだろうか。後で考えればいい、と彼女は思った。「やるわよ」とユリコ「命がけになった人間に何ができるか、見せてやりましょう」

突然冷静になりやるべきことを一つ一つ告げ、行動していくユリコがかっこいい場面。そして一旦は協力するようにみせかけ、簡単に自己利益のために裏切るスズキのあり方が楽しい。こういうのがいいんだよなあ。「どのクラスも平等にリスクを負うだと?バカバカしい!そのリスクを回避するために私は金を払ってるんだ!」というスズキの発言は確かにもっともなものであり状況を考えなければ支持も得られそうなもので、読んでいてハッとしてしまった。そうなんだよ、スズキはスズキで自分が生き残るために金を稼いで、生き残るために投資を行っているんだから、その分生き残る確率が高くなるのは当然なんだ。今回は状況が悪かった。

「ハァーッ!ハァーッ!何でニンジャなんかと関わらなきゃいけないんですか!とんだイディオットですね!」ヤクザ軍団が全滅したと見るや、スズキは脱出装置があるという前方車両めがけ一目散に駆け出していた。ユリコの声が聞こえるも、無視する。死んだら終わり、のコトワザが脳裏をよぎったからだ。(中略)カエル水墨画で描かれた解りやすい図解に従い、スズキはパラシュートをてきぱきと装備し、脱出用椅子に腰掛けた。「どのクラスも平等にリスクを負うだと?バカバカしい!そのリスクを回避するために私は金を払ってるんだ!」スズキはこれまでの不当な扱いの数々に逆上し、怒りと共に発射ボタンを叩く!

一貫して感情移入するようにして主役側にかかれてきたジェノサイド&ユリコだが、ニンジャスレイヤーの登場によってその主役性が揺らぐ。

ニンジャスレイヤーは、す、と右手で後部車両への戸口を指差した。カチグミ車両から逃げてきたと思しき少年が立ち尽くしていた。少年は口をきっと結び、バズソーによって無残に切断されたと思しき母親の片腕を、手繋ぎするように引きずっていた。少年特有の純粋な憎悪の目が、ジェノサイドを見ていた。

ジェノサイド側の都合も書かれているだけに読者側からすればジェノサイドの気持ちもわかるだけに、なぜジェノサイドとニンジャスレイヤーが戦わなければいけないのだと最初は疑問に思うが、ニンジャスレイヤーの指摘により意外と外道なことをしているジェノサイドの姿が明かされることによって善悪の垣根は消え去る。あれ、こいつ主役っぽかったけど実際ひどいやつじゃね? と。結局ジェノサイドもまた自己利益にしたがって行動している人間の一人に過ぎない。極々短い短編なのだが、こうしてシンプルに善悪の基準をかき消してくるプロットがうまい。

とまあこんなところか。途中で「これ書いている間に短編ひとつぐらい読めるんじゃ?」と思ってしまいやめようかと思ったが書き始めたものなので最後まで書いた。実際はもっと書きたいこと、注目しているポイントなどあるのだがさすがに時間がもったいない。ちなみにこの『ゲイシャ・カラテ・シンカンセン・アンド・ヘル』ではあの有名な『何事も暴力で解決するのが一番だ』という名言が出る。