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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

引継ぎ引継ぎ

仕事を引継ぎ引継ぎ。

会社で組織人として働いているといろいろと考えることもある。
部下にとって理想の上司とは何かとか、人に教えるってこととか。
組織内での個人の理想的な立ち回りであるとか。

上司としてできていたことがいいのは何か?
まずおさえておきたいのは、上司の自己認識と部下の上司認識を正確に把握することだろう。
上司からしてみればそこまで重要じゃない指示がとても重要に受け取られていたり、
あるいはその逆がありうる。自分ではとてもいい上司でいるきがしても部下がそう受け取っているとは限らない。

部下からすれば上司とは目の上のたんこぶであり、自分を評価する人間であり、
いってみれば権力者である。とても対等の関係にはなれそうにない相手だ。
相手がいくら友達感覚で話しかけてこようともそうした上下関係抜きに関係を捉えるのは難しい。
上司はだから変に親しみをもってもらおうとか、気軽な関係を保とうとするのではなく
自分の態度を一貫させることが重要だろう。

Aという時は怒ったのに似たようなケースであるBの時は怒らなかった。
そうした事例が一個あるだけで部下としては「今回は怒られるだろうか」と考え込んでしまうだろう。
怒られる・怒られないにかかわらず判断の基準はできる限り明確にすることで
部下が上司の顔色をうかがう、判断に迷うことを少なくすることがストレスを軽減すると思う。

あと当然仕事はできた方がいいし面倒臭いことを部下に丸投げする上司は最悪だし
感謝の言葉が出てこないやつは上司とかにかかわらず付き合いたくないし……。
理想は理想だ。面倒臭い仕事を丸投げできなかったらえらくなる意味がないし
仕事ができるかどうかなんて仕事をできるやつに割り振るのが管理職の仕事だし
感謝の言葉も出てこないほどのダメなやつしかいないというのもまた正論である。

まあできることをやるしかないのだろう。

人に教える。難しい。一から十まで説明してあげたくもなるがそうすると覚えてもらえない。
質問があればきくよといって質問ができるようならその時点で物事を把握できているということだ。
何人か、何十人かまとめて教えるということになると方法論も限られてくるが、そうでなくじっくり
一人か二人に教えられるのならばいってみせ、やらせてみせ、
あとは生暖かく見守ってやるのがいいと考えるようになった。

人が成長するのはどんな時なのか。それを観察していると、どうも悩んでいる時にこそ、
その傾向が表れているようにみえる。さくさくと進んでいる時は結局過去の蓄積をアウトプットしているだけであり
人間の引き出しが増えるのは純粋にインプットしている時と、さまざまなパターンを試行し、悩んでいる時だ。

作業というのはひとつの目標に対して過程はいくらでもあることがほとんどだ。
たとえば子供への課題でヒマワリを育てるというただそれだけのことにしても、
日当たりのいいほうがいい、肥料はこれだけあげて、このプランナーにいれて、
とすべて指示してやればたぶんちゃんとしたヒマワリが育つ。

一方で自由に、どこにでも種をまいていいというとその辺の花壇にまく子もいれば
日当たりの悪い場所を意識せずに選ぶ子もいる。結果的にヒマワリが生える子もいれば、
生えない子も出てくる。しかしこれは「失敗」ではない。「なぜあっちでは咲いて、こちらは咲かないのか?」
「日当たりが関係しているのではないか?」「与えた水の量が違うのか?」

正解だけ教えると正解以外のパターンがわからなくなってしまうが、悩んでいろんなパターンを試していくうちに
応用例も思いつくようになっていく。うまくいった子とうまくいかなかった子が存在する場合、
うまくいった子も「なぜ自分はうまくいったんだろう?」という素敵な問いを立てることになる。

「うまくいった」ことにたいして「今回この条件だったからたまたま」うまくいったのであり、
「この先もうまくいくかどうかわからない」ということは将来の渡って今の状況を維持するためには
「今うまくいく」以上に理解を進める必要があるということです。
理解とは課題を達成するその先にあるわけで、その為にわざとうまくいくかどうか
微妙なところに種を撒いたりしてもいい。

こうした条件の把握が進んでいけば、ひまわりだけでなく大根を育てることもできるようになるだろう。
悩んでいる時は出口がなくつらく無意味な時間を過ごしているような気がするものだが
特にプログラムなどではそうして悩んだ時間が多ければ多いほど仕様の理解に繋がっていたりする。

もちろんただ悩ませればいいというものでもない。重要なのは仮説が累積していくように
悩ませることだろう。目標と大まかなルートを与えてあとは好き勝手にやらせ、
大事にならないようにフォローしてやることが(ライ麦畑だね)重要なのだと思う。

こういう探索型の学びは時間がかかるものだ。
特定の作業、特定の目的だけをやらせたいのならばこんな学びは時間の無駄である。
でもじっくりと、いろんな状況に対応できるようにさせようとおもったら
どこかで探索させる必要があるのではないかと引継ぎをしながら考えていた。

まあ、引継ぎでそんなこと考える必要はないんだけどね。