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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

Speculative Fiction 2013: The Year's Best Online Reviews, Essays and Commentary

『Speculative Fiction 2013: The Year's Best Online Reviews, Essays and Commentary』は書名。なにかというと、その年で優秀だったレビューやエッセイ、コメンタリーを集めて一冊の本にしてしまおうというもの。対象範囲は同人誌のようなものから、ブログ記事、雑誌に発表されたものまでさまざまだ。どのようにして女性キャラクターを書くのか? ジョージ・R・R・マーティンフン族アッティラから何を学んだのか? どのようにしてヒューゴー賞を修正していったらいいんだろうか? ディストピア世界におけるドレスコード などなど。

レビューやエッセイもいろいろ面白いのだが、とりあえず面白かったのはディストピア世界におけるドレスコード問題のエッセイとか。不気味の谷現象といってロボットが人間に似ているようで微妙に似ていないから不気味に見えることがあるが、同じようにディストピア映画では未来を描いているのに登場人物はみんなおなじようなヘアーカットで衣装は画一的だと「なんかおかしくね」という話。やり玉にあげられているのは主にGattacaとEquilibrium(日本語だとガタカリベリオン)だが謎のチョイスではある。

あとI hate strong woman characterというエッセイは題名からして挑発的で何が書いてあるのか興味深かったが「強い」というのはむしろ副次的な、キャラクタの魅力としてはそこまで上位にあるものではなく、「強い」もしくは「弱い」それだけがピックアップされるような状況はあまり良くないんじゃないのという常識的な内容でまあ確かになあと思った。たとえばシャーロック・ホームズはまあ強いんだけど、切れ者であり博識家であり推理力があり……と様々な魅力の他に「強さ」があるのであって、女性キャラクタにおいても「弱さ」「守られる存在」だけでなく多様な魅せ方があってもいいんじゃないかねえという。

最後に書き手が望む女性キャラクタの書かれ方への提言が載っているのでそこだけ訳してみよう。

女性が、自由に自身のことを表現できること
意味を持ち、感情豊かに他の女性キャラクタとの関係を持つこと
時には弱さをみせること
身体的な意味ではなく、強くあること
叫びたくなるような時は、叫ぶこと
助けを求めること
女性が、女性自身であること

このレビュー&エッセイ集の最初には「こんな方針で集めてますよ」という宣言があるのだが、そのうちに「フィクションで描かれているジェンダー問題をできるだけ取り上げていきますよ」と書かれている。日本は正直いって差別問題に対して対策がとられないことがほとんどなので、残念すぎる状況であるのだが、欧米諸国ではこういうジェンダー問題を積極的に取り上げ、垣根をなくしていこうとする活動は随所にみられる。日本のフィクションではただ守られるだけの弱い女性キャラクタって、珍しいぐらいのような気もするな。

男性と女性キャラクタの比率の問題などもよく問題になるし、上記のエッセイにあったように「強い弱いの評価軸だけではない、複雑な魅力を持った女性キャラクタに登場してほしい」ともいうが、ジャパニーズライトノベルではむしろ男キャラクタの需要が薄く女性キャラクタだらけである状況はどのように認識すべきなんだろう。多様性はとっくに生まれている状況であるというべきか、むしろこれは男性ユーザの欲望へのダイレクトな提供である点で女性軽視というべきなのか……。たとえばけいおんや東方のように極端に男を排除した世界において「ジェンダー的にフラットになったか」といえばただ単に要素として消失させただけでまったくそうではないわけで。まあ上記のエッセイで問題にあげられているのは主にハリウッド映画レベルの話だと思うんだけど。

あとこの記事が面白かったなー。The Value of Grit | Joe Abercrombie 実際の我々の生活は常に驚きと予測不可能性に満ちているが、多くのファンタジーはそうではない。規定されたキャラクタに、先が読める展開。すかすかの描写の隙間を埋めていくにはどうしたらいいのかという記事で、ちょっとバカにしすぎなんじゃないのとか無茶いうなとは思うもののおもしろい。