基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

情報奔流にどう抵抗するか

インターネットに存在する情報の山とどうやって付き合っていくのかこれまで同じようなことを何度も書いてきた。
何度も同じことを書くのは時間の無駄なのでいったんこれまでのまとめを書く。

人生の目的とはなんだろうか。僕の場合人生の目的はまず自分自身の幸福である。幸福とは何なのか。楽しいことができ、楽しさがつらさを上回って持続可能な状況を指すとする。楽しさを最大化しつらさのようなマイナス方向の感覚を最小化する方向へ進み続けるのが自身の幸福であるとしよう。多くの場合トレードオフによって幸福は追求される。毎日好きなだけ寝て、好きなだけ活動をするためには金が必要だが金を稼ぎ続けていては好きなことができない。好きなだけ活動をするために必要な金額はなんなのか。もしフルタイムで働かなくてもその金額に達せられるのであればフルタイムの労働をやめるべきである。

とそのように「人生の目的とは、幸福とは、幸福に必要な環境は、それを達成する最適な楽しさとつらさのバランスはどこか」と考えていってこの考えが末端まで辿り着いたときに今日明日の行動方針が決まる。そして最終的に考える羽目にになるのは時間である。賃金労働はだれでもできることであればあるほど時間給が少なくなり、誰にもできずかつ人に求められるものほど多くの賃金を要求できる。その為効率よく過ごすためには誰にもできない技能やコネといった能力があることがまず第一前提である。

その為に必要とされるものが時間である。また僕が楽しさを感じるためには1.楽しいと感じるもの。2.それをやる時間。3.新たな楽しいと感じるものの探索時間 といったものが必要になる。基本的に僕は時間をさまざまな分野に配分することによって幸福を達成するための環境を整備することに成る。つまり僕は自分の時間を大切にしなければならない。時間がなければ生きていけないので時間はそもそも人生そのものである。つまり僕の時間を不用意に消費させるものはなんであれ僕をガリガリと削りとって攻撃を仕掛けてくる敵であると考える。

時間をそうした重要資源であると考えた場合、無駄遣いは最も避けるべきである。それは賃金を無駄遣いしたときより痛い損失となる。考えて短縮できる時間は短縮し、金でショートカットできるとき、トレードオフが成り立つ場合には金を使う。環境上で使わなくていい時間は極力カットする。そうやって一つ一つ自分の時間について考えていった結果僕がもっとも無駄であると感じたのはネットサーフィンの時間であるとした。ネットはゴミのような情報で溢れており、僕の楽しさに貢献する時間よりも昔のテレビのような、漫然とした時間を費やす装置とかしてしまうものが多い(ツイッターやフェイスブック、タンブラーのようにだらだらみているだけで延々と情報が流れてくるもの。)

たとえば女子高生が女子高生を殺したからといって、そんなのは僕にはどうでもいい話だ。1億人もいりゃそんな人もいるんじゃないのしらんけどぐらいの感想しか出てこない。そんな情報が目に入ってくるのが既にうっとうしい。ここで問題にしているのは「過剰な情報にさらされることによる、本来必要としていない、楽しさにも貢献しない時間の消費」「間違った情報が流れてくるリスク」が主なものである。この対策として「基本的にツイッターは特定個人のものしかみない」「ネットはニュースサイトやはてなブックマークのような何らかのアルゴリズムにそって情報を収集してくるものをみない」ことを決めた。つまり基本的に「気になったことを調べるとき」「信頼のできる特定個人や特定機関を巡回する」ことによって「過剰な情報」と「間違った情報」に触れる機会を減らそうとした。

この企みはある程度うまくいっているように思う。最後にまとめなのでもう少し詳しく「問題とされる情報」と「その対処法」を書いておきたい。先ず問題とされる情報についてだが、第一に情報の事実性がある。地球は四角いなどというやからがいたらそれは圧倒的現実性のまえに「正しくない」と断定できるが、「仙台で雨がふっている」と言われても正しいのか正しくないのかなんてよくわからない。しかしその場合でも一般的にいって権威やこれまでの信頼を積み重ねている報道機関、天気予報によって「仙台は雨である」と宣言されているのであればまずもってその情報は真実性が高いとかんがえることができる。

ここで重要なのは次の2点である。つまり「情報の正誤は自身が信じている情報との齟齬によって判断される」もしくは「信頼性の高い情報経路を経ているか否かによって判断される」ということだ。「地球が四角い」は前者によって判断でき、「仙台で雨がふっている」は「信頼できる情報経路か否か」である程度判断できる。問題は自分が確信を持っている情報の正しさはどのようにして担保されているのかだ。「地球が楕円形である」というのは僕はこれまで受けてきた科学教育の結果としてそう信じている。また地球外からの映像などによってもその信頼性はましている。

ただしそれも結局は自分で見てきたことではない(自分で見たことであっても思い込みや錯誤があるので確実ではない。)ため、結局もこれは「情報経路の問題」ということになる。つまり「問題とされる情報か否か」を考えるにあたってとりあえず重要なのは「情報経路の信頼性はいかにして判断すべきか」に集約されるだろう。このあたりはなにか考えの抜けがあるかもしれないが、とりあえずそういうことにして話を先へ進める。昨日読んだ『情報汚染の時代』には面白いチェックリストがついていて、これが情報の質を判定するために役に立つものだった(この本を読んだからこの記事を書いておこうと思った。)。チェックリストだけ引用してみる。

  • ①その情報は、あなたの問いかけによって引き出されたものか[1]、それとも、相手側から言い出したものか[0]。
  • ②その情報は、その提供者の利害に関係していないか[1]、関係しているか[0]。
  • ③その情報の提供者は、その分野において名の知られた人物(組織)であるか[1]、否か[0]。
  • ④その情報の提供者は、長年にわたって(少なくとも2年以上)、その分野での情報を提供している者であるか[1]、否か[0]。
  • ⑤その情報の提供者は、個人の資格でその情報を提供しているか[1]、それともなんらかの集団名・組織名・団体名の肩書のもとで発言しているか[0]

1とか0とかついているが、ポイントだと思ってもらっていい。点数が高ければ高いほど情報経路の質は高いと考えられる。たとえば①や②が0だった場合、相手の意図により情報は欠落していたり利害のため誘導がかけられている可能性がある。僕は途中からツイッターなどの受動的な情報収集ツールを使うのをやめて、特定の個人や組織の情報を回るようにしたと最初に書いたが、その理由をちゃんとわかりやすく言語化、分類すると上記のようになるのだろう。なんかすっきりした気分になった。